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米GAPが予感させる、デジタルメディア未来形

昨今のマーケティング巧者の企業は、そのブランド力をテコに“オウンド・メディア”の運営に乗り出しています。
米衣料ブランド GAP もその一例。創り出すメディアは、デジタルメディアが取り組むべき条件を見せつけます。

「最新ソーシャルメディア情報ブログ」をうたう ソシエタ が優れたオウンド・メディアの事例を紹介しています。
GAPの新しいオンラインメディア『Styld.by』はファッション誌の未来となるか?」です。

企業サイトは「オウンド・メディア」とも呼ばれ、多くの顧客を保有しており、企業と生活者のタッチポイントとしての役割を担っています。「オウンド・メディア」は、トリプルメディアといわれる中でも「ペイド・メディア」「アーンド・メディア」とは異なり、直接企業と生活者をつなぐ企業のマーケティングコミュニケーションにおいての入り口になる、特に重要なメディアです。(博報堂他の発表リリース文より)
「オウンド・メディア」を平たく説明すれば、企業が(所有して)運営するメディアのことです。
注意したいのは、従来の“コーポレート・サイト”とは意味が異なり、自社製品やサービスのブランド性向上や販売促進を主眼としつつも、“メディア”として広く読者の満足を目指すコンテンツを用意していくアプローチを取ることでしょう。つまり、消費者にとっては終着点ではなく、入口と位置付けられるサイトなのです。
では、そのオウンド・メディアの中でも先進性が際立つという GAP の Styld.by には、いったい何を学べるでしょうか?
記事では、ポイントを3つ挙げています。
http://www.infobahn.co.jp/social-marketing/9317

GAPの新しいオンラインメディア「Styld.by」はファッション誌の未来となるか? « INFOBAHN via kwout

  1. 周到に準備されたソーシャルメディア連携
  2. ファッションブロガーとの自由なコラボレーション
  3. 周到に準備されたEC連携

商業サイトの運営に携わる諸氏にとって、これらのポイントを「商品を売るのが目的の企業サイトと、自分たちとでは違う」と境界線を引いて終わらせるのは得策ではありません。Styld.by は確かに、“ファッション”と“EC”に偏っています。しかし、ここで挙げられた3つのポイントは、筆者が考える(商業メディアなど)オンラインメディアに共通して備わっているべき要素であり、Styld.by はそのみごとな実装例のひとつなのです。

1. のソーシャルメディア連携。記事(やファッションアイテム)について、読者のコメントを付して Twitter および Facebook、Tumblr などへ投稿できる機能は、これからのデジタルメディアにとってマストアイテムです。いまだに SEO(検索エンジン最適化)が重要な施策ではありますが、今後は“ヒト”が仲介、推奨することによる影響力が増す一方です。

コンテンツが、自社メディア以外の場へと紹介、引用されていくことに不快感を表明する商業メディア従事者はいまも少なくありません。
しかし、警戒すべきなのは、単にコンテンツの剽窃が行われて、自社のメディアへ何ら利益をもたらさないケースについてであるべきでしょう。
逆に、自社のコンテンツが自らの手の届かないところにまで紹介や引用の連鎖が広がり、それが自社サイトへの来訪者へと結びつく、あるいは、ブランドを築くということには積極的に手を貸すべきです。そうするためにも、紹介や拡散が(メディア側が望むように)適切に行われるような仕組みが求められます。たとえば、ソーシャルメディアに投稿する際に、メディア名・記事名・URLなど出典情報が自動的に付加されるようなツールを用意しておくなどです。

次に2.「自由なコラボレーション」について。
コンテンツの紹介や拡散をどうして読者は行いたいのかといえば、ひとつはそのコンテンツが読者に取り、自分のブランド性を高めるようなケースであること。もうひとつが、メディア自体やその執筆者に対して身内意識が高い、参加意識が高いことによります。
言い換えれば、コンテンツの紹介や拡散をしやすくするには、1.のような道具が常に用意されていることに加えて、読者心理を、メディア側スタッフとの親近感を一定レベル以上に保っておくことが効果的です。
それをどうするか? 運営しているメディアがブログ系CMSを利用していれば、コンテンツごとにコメントの書き込みを許すオプションがあるでしょう。あるいは、メディアごとに Twitter や Facebook などのアカウントを用意し、そこで読者との適切な交流を築くことになります。Facebook であれば「いいね!」ボタンの設置など、読者、メディア双方にとって心理的負担の低い取り組みから始めることもできます。
最近では、朝日新聞デジタルの例のように、各種公式 Twitter アカウントに加え、「つぶやく記者」というように個人のレベルまでアカウントを明記しソーシャル化に乗り出すケースも当たり前になっています。
もちろん、炎上や過度なコミュニケーション負担にさらされる“リスク”も皆無ではありません。しかし、経験上、コミュニケーションの“やりすぎ”から誘発される炎上などはあるものの、読者から親近感を持たれるケースでは、そうでないケースに加えてずっとリスクが低いものと認識します。

最後に3. ECとのスムーズな連携です。“ECだけは、自分のメディアとは関係ない”と思われる方々もいることでしょう。
筆者はこの数年間のオンライン広告のスランプ現象(一方で、検索型広告などのブームはありましたが)の経験から、広告外収入の積み重ねを重要視します。
広告は、特に専任営業が獲得するような商談ではそれなりに額も大きく、また、獲得できれば大きなマージンも期待できます。
が、広告収入への過度な依存(期待と言ってもいいかもしれません)は、人件費増を招いたり編集要員の生産性を下げるなど副作用を伴うことに注意すべきです。できれば、人手をかけずに自動運用が可能な収入源をいくつか持ちたいものです。

本ブログでこれまで何度か触れているように、デジタルメディアで長く生きぬくには、運営コスト水準(固定費)を極力引き下げることが 肝要です。
適度な広告獲得と併せて、EC等物販へシームレスな接続を行ったり、メディアの特性などを加味して、セミナーやパンフレット(資料)など有償物の販売へつなげるような仕組みは、メディア経営上意義があると考えます。
アフィリエート型ビジネスとの連携であれば、投資を抑えたスタートも可能です。いずれも、メディアづくりに携わる現場の人間の創意工夫のレベルで行う収入源開発に意味があります。自分ではできない、という業務は結果としてコスト増要因となるからです。

改めて整理しましょう。Styld.by が備えるような特徴は、今後はどのような(デジタル)メディアであっても多かれ少なかれ必要です。
メディアに従事する人間一人ひとりがその意義を理解した上で自ら取り組めるような能力が求められます。
重要なことは、そうしなければ、今回の例が示すように、ブランド性の高い企業は自らメディア運営に乗り出すことで十分に満足してしまうはずだということなのです。
(藤村)

広告のコンテンツ化潮流は、メディア倫理を改めて浮上させる

広告の消滅・スポンサードメッセージの誕生。
21世紀のメディアから広告は消滅していくのか——。

Facebook と Twitter、二大ソーシャルメディアが、いずれもサイト内のディスプレイ広告(バナー広告のたぐい)を廃止していく方向で動いています。
代わって、ユーザーらが情報のやり取りを行うメインのコンテンツ群の中へスポンサー(広告主)メッセージを埋めこむ(スポンサードコンテンツ)方式を生み出すべく躍起なのです。
本稿では、現実になりつつある“広告”の廃止・広告の“コンテンツ化”への流れを確認し、その背景を考えてみたいと思います。

出発点は、今年2月末に開催されたFacebookの広告業界関係者向けカンファレンス fMC です。
同カンファレンスの主要資料(動画、PDF等)は、英語ですがこちらに用意されています。
ここで飛び出してきた広告に代わる新コンセプトについて、TechCrunch JAPAN が記事に取り上げています。
広告のコンテンツ化―Facebookの新広告戦略はハッカー文化とビジネスの融合を目指す」です。

http://jp.techcrunch.com/archives/20120301cult-of-zuck-and-the-friends-of-sheryl-sandberg/

広告のコンテンツ化―Facebookの新広告戦略はハッカー文化とビジネスの融合を目指す via kwout

記事は fMC の注目点について、以下のように述べています。

Facebook では収益とユーザー体験を両立させる方法があるはずだと考えている。Facebook は収益を拡大するために必ずしも広告のサイドバーを大きくし、コンテンツ・エリアを狭くしたり、画面トップに巨大なバナー広告を掲示したりしなければならないわけではない。Facebook は広告を独立した存在としてはわれわれの目から消し去り、次第にサイト全体の情報の流れの中に埋め込むという手法を取ろうとしているようだ(下線部は藤村による)。

昨日(米国時間2/29)のfMC(Facebook マーケティング・カンファレンス)で Facebook はそうした方向性を打ち出した。広告主が自分の好きにメッセージを表示できるプレミアム広告枠は姿を消すことになる。今後、企業が運営する公式 Facebook ページの内容からユーザーによって選択、抽出されたものだけプレミアム広告として表示されるようになる。この広告はサイドバーに表示されるのではなくウェブ版、モバイル版双方のニュースフィード中に表示される。

発表された Facebook の新広告商品 Premium on Facebook は、厳密に言えば複数の広告形式の集合体なのですが、わかりやすいように2つのパートから説明しましょう(こちらの記事で広告の構成などポイントを詳しく解説しています)。

  1. 「Facebook ページ」……スポンサー(広告主)がFacebook内に設けるコンテンツ集合ページで、従来から存在していたものです。企業が自社、もしくは製品単位で情報を集約しコンテンツを順次投稿していく場です。ユーザーのニュースフィード中に広告主からのメッセージを表示するためには、企業や製品のファンたるユーザーがこの Facebook ページに対して「いいね!」をしておく必要があります
  2. 「ニュースフィード」……Facebookユーザーが自らのコンテンツを投稿したり、友達のコンテンツが表示される領域に出現するコンテンツ型スポンサーメッセージです

今回新たな広告セットに組み込まれたのは、2.の「ニュースフィード」への広告メッセージです。企業、製品の Facebook ページに「いいね!」をしたユーザーにアップデートとして配信されるもので、通常の近況アップデートの形式をとります。言い換えれば、Facebook 内で日ごろ起きている交流のように、ユーザーにフレンドリーに作用するメッセージでなければなりません。

このように Facebook の新広告商品がもたらすのは、広告メッセージが企業や製品の「ファン」へ確実に届く率の向上(16%から75%までに向上させるとうたっています)、次に、ファンを通じて広告メッセージを拡散(「いいね!」や「シェア」)させる効果の向上なのです。
それを可能にするのが、広告メッセージを、コンテンツに外在的である「広告」という存在
から、「コンテンツ」そのものへと位置付け直す論理というわけです。

このような旧来の広告観になかった新しいスポンサードコンテンツ観が生まれた背景を推測しておきます。

  • そもそも Facebook 創業者周辺には、「広告はクールじゃない」という思想がある
  • 広告の表示になれたユーザーは、ますます広告を無視するようになっている
  • 「広告」収入増を図るには、広告表示を多くするか、大きくするしかない(ますます「クールじゃなくなる」、効果も下がる)
  • 広告主期待のエンゲージメントを得るには、ソーシャルメディア内のエンゲージメント(「いいね!」等)の論理が貫かれたときであるという視点がある

広告主とユーザーの間がらを「ファン」「友達」という関係に置き直そう。「広告」ではなく、広告主が発するメッセージ、コンテンツとして位置付けよう。これが今回のアプローチです。
煩雑になるので立ち入るのを避けますが、Twitterでも同様のアプローチが生じています。ユーザーのタイムライン内にスポンサーのメッセージを埋めこむための論理的な整備と効果測定などの試行検証が行われているようです(→ こちらを参照)。

このようなトレンド変化に当惑するのは、商業メディアでしょう。「記事と広告の峻別」をユーザー(読者)への守るべき倫理(厳密に守られていたかどうかというよりも、そこに倫理的な縛りが存在)としてきたからです。商業メディアには、コンテンツが人を動かす(リードする)ものとの自負から、広告主のメッセージで読者がミスリードされることがないように“峻別”が必要とされてきたのです。
対して、紹介してきたソーシャルメディアが抱くユーザーへの倫理は異なります。それは「広告主とユーザーの間にエンゲージメントが成立しているかどうか」です。

冷静に考えて、現代にあって広告が求める効果を得るには、エンゲージメント抜きではますます困難になっています。その意味で、今回のソーシャルメディアの取り組みは21世紀の広告のあり方を映していると言えそうです。
では、あらかじめエンゲージが交わされていれば、広告主のメッセージでユーザーがミスリードする懸念を免れるのでしょうか? それはユーザーの自己責任と言えるでしょうか?
さらに、それは普通のユーザーが発するメッセージに対するガイドラインと同様の仕組で良いのか? これらの点でまだ迷路を抜けたとは言えそうにありません。
紹介してきた広告の新潮流は、旧くて新しいメディア倫理の妥当性に改めて照明を当てています。
(藤村)

メディアの「パーソナライズ」を改めて考える

かつて注目されながら、空振りに終わったメディアのパーソナライズ。
多くの商業メディアとソーシャルメディアが連なり進む情報爆発、
課題として見えてくるのは、適切なコンテンツへの絞り込みと、重要な話題への視野の拡大。
改めて、メディアのパーソナライズの可能性について考えます

先日、ブロガーの境 治氏の投稿「長いものが読めなくなってきた〜コンテンツ消費の夕暮れ〜」に触れ、思わず唸ってしまいました。

朝、通勤電車の中でTwitterやFacebookで情報収集する。面白そうな記事やブログをチェックして、会社に着いたら読む。読む。読む。読んでも読んでも興味深い記事、読むべきだぞなブログがどんどん出てくる。読む。読む。・・・でも、ものすごいスピードで流し読みだ。ちゃんとすべての文字に目を通してなんかない。だいたいね、だいたいわかった。はい、次!そんな勢いだ。

長い記事がどうも最近、ちゃんと読めなくなってる気がする。

境氏が書いた情景は、“ニュースジャンキー”(ニュース中毒症)を自認する自分にぴったり当てはまるのです。
境氏も自分もいささか自業自得感はあるものの、この「何か(さらに面白い)事が起きていないか?」と「何か読み落としている重要な情報がないか?」という“欲求と不安”への対処は、情報の渦におぼれかかっている多くの現代人に共通する課題ではないでしょうか。

今回のテーマは、(私たち)読者がいかにして“適切な情報に触れる”ことができるかということです。

先に自分なりの結論めいた見解を述べると、業務上目を通すことを求められるような、例えば事務文書などは面白くないこともあって、量が過剰になれば「もううんざり」「業務効率が落ちるので分量少なく」といった抑制メカニズムがおのずと働くものです。
ところが、自分が追い求めるテーマ、関心事に触れる情報は自らの欲求によって読もうとするため、このような抑制メカニズムが働きません。
コンテンツ消費が直線的に伸びてしまいがちなのです。情報を何らか絞り込むメカニズムが用意されなければならないはずです。

そこで重要になるのが、何らかのパーソナライズ(機能)です。
Web上のニュース記事については、はるか10年以上前からこのパーソナライズが有望視され、そして消えていきました。
なぜかコンテンツ分野ではこのパーソナリゼーションは主流の議論になりきれずにここに至っているのです。
隣接分野でのパーソナリゼーションに関わる記事を最近見かけました。これを簡単にご紹介します。
TechCrunch Japan に掲載された「Eコマースを巡る次の革命的発展は利用者次第?!」がそれです。

Eコマースにはパーソナルなレコメンド機能が欠かせない。しかし、10年前にAmazonがプロダクト販売の場面に「パーソナライズ」の概念を持ち込んで以来、この面における進化というのはほとんどないという状況かもしれない。但しEコマースで利用できるデータは一層膨大なものとなっており、まさに今、新たな「パーソナライズ」時代へとジャンプする直前期にあるのではないかと思われる。

この記事の主眼は、タイトルにあるとおり“Eコマース”です。なのですが、筆者(藤村)には、まさに情報が過剰化する一方の現在、適切な情報への欲求と不安に悩まされるメディアと読者の間にこそ当てはまる話題と読みました。

上記引用に「この面における進化というものがほとんどない状況」とありますが、(ニュースなどの)メディアと読者の間でも事情はまったく同じです。
そもそもメディアそれ自体が、“これを読むべき”というリコメンド(推奨)の束なのですから、本質的に読者一人ひとりのための取捨選択を良しとしない要素があります。
また、読者自身も一般的には、自分が何を読みたいのか、どんなテーマに関心を持っているのか明示的に定義できない側面もあり、これまた、パーソナライズが定着しない要因です。

パーソナライズが不調に終わった以後、(ニュースなどの)メディアサイトやソーシャルメディアなどで目にするパーソナライズに代わる機能は“リコメンド”です。
「この記事に関連する記事」「あなたの知人が『いいね!』と言っている記事」「今週最も読まれている記事」……。
しかし、これらが欲求と不安という課題に対する答えにならないのは自明です。というのも、それらはさらに多くの記事の消費を提案するだけだからです。

結果として、情報に鋭敏な読者の多くは、自らのお気に入りメディアを中心に回遊し、見出しなどを判断材料に読むべき記事を取捨選択します。さらに、ソーシャルメディアなども駆使して守備範囲外へもアンテナを差し向け、情報に対して絞り込みと同時に網を広げる行動を経験に基づいて行っているのだと思います。

課題がようやく鮮明になってきました。
情報過多に見舞われながらも、まだ、情報を拾い漏らしているのではないかとの不安に晒される現代人にとって、“情報の適切な絞り込み”、かつ、時に“広い視野からの重要情報への接触”が可能となるような、一見相矛盾する仕組みが重要になっているのです。

どうやってこれを実装すべきでしょうか?
先に示唆したように、商業メディアは、できれば自らのコンテンツ(だけ)をたらふく消費してもらいたい欲求を持っています。その現状では、コンテンツ消費を絞り込む機能を実装するのは困難と思えます。
もし可能だとすれば、“絞り込み”の機能に権威性などを付加して、読者へのメディア価値として鮮明に打ち出すことが必須です。
もし、このような絞り込みに商業メディアが取り組まないのであれば(上述のように、取り組みたくないという衝動は頑強でしょう)、コンテンツを大量に生み出す商業メディアと、価値あるコンテンツに絞り込みたいという読者の間に、新たなビジネスや機能をもたらす第三の存在が台頭するのは当然の帰結です。
過去は検索エンジン、現在はソーシャルメディアやアグリゲーション(まとめ)型メディアなどがその原初的な役割を果たしてはいますが、いずれも“たくさんの候補を提示する”ベクトルで発展してきた経緯において商業メディアとそう変わらないと言えそうです。

ならば、だれが“絞り込みと広がり”を提供できるでしょうか? たとえば、Summify.comという有望なサービスがあります。
ユーザーのソーシャルグラフ(交友関係)を読み取り、(影響力ある)友達が言及している記事を毎日5本に絞り込んでモバイルアプリやメール等で教えてくれるものです。しかし、利用してみての感想は、期待に十分とは言えません。時には「PR」記事が交じっていることさえあります。
ソーシャルな交流圏にある人々に共通する話題だからといって、自分にとって価値ある情報という等式が成り立つというわけでもないようです。

では代わって、筆者(藤村)が乱暴に仮説を提示してみましょう。

  1. 従来の閲覧履歴を基に、好みのメディア(よく読む記事を掲載する媒体)を抽出し、その中から適切な重み付けをしながら新着記事を提示する
  2. それら提示記事には適切なサマリ(要約)文を生成し、記事を選択するための材料とする
  3. 専門分野ごとに複数名のキュレーター(情報選別者)を用意して、“お薦め”記事を絞り込んで提示する(たとえば、“本日読むべき5本”というように)
  4. キュレーターのお薦め記事にも2. 同様のサマリを表示し、気になった記事を選択するための材料とする
  5. ユーザーには、キュレーターを選択できるようにする(結果として、数名のキュレーターを選択して、ユーザーは自分の関心分野をカバーする)
  6. キュレーターによるお薦め記事と、1. でピックアップされたお好み記事を束ねて、記事見出しとサマリからなるリストを、ユーザーに対し毎日/毎週/毎月送る

個々人にパーソナライズされた記事を抽出する美しいアルゴリズムを提唱できれば良いのですが、残念ながら思い浮かびません。
結果としては、上述のように、自分自身のメディアへの経験的な嗅覚を活かしつつ、併せて、権威ある人々からも記事の推奨を受ける。
この組み合わせに、私は情報爆発時代の情報処世術を見いだします。
繰り返しですが、商業メディアもこのようなアプローチを積極的な商材として提供すべき時機が近づいています。
むろんそれをしなければ、第三者がその役割を果たすことになります。そして、時代はその萌芽を随所で見せ始めていると思うのですが、どうでしょうか?
別の機会にもう少し実装イメージを追い求めてみたいと考えます。(藤村)

電子の時代、作家はネット起業家になるのか?——アマンダ・ホッキング氏の場合を例に

自らの努力で、電子書籍小説を100万部以上売った、若きベストセラー小説家アマンダ・ホッキング。
ついに、巨額の前払契約をもって大手出版社と出版契約を結ぶ——。
本稿は、彼女の周到で執拗な自助努力の一端を紹介し、
ネットの時代、電子書籍の時代の作家が生きる道と、
改めてメディアビジネスがなすべきことを検討します。

米国に ENTREPRODUCER というユニークなブログメディアがあります。
“アントレプレナー+プロデューサー=アントレプロデューサー”という造語を媒体名にしたこのメディア、コンテンツビジネスに関わるスタートアップ(誕生間もないベンチャー)や、ネットの力をうまく使って勝負しようとする起業家的な人々を対象に絞り込んだ、それ自体非常にベンチャー精神を漂わせるとてもおもしろい存在なのです。

その ENTREPRODUCER が最近掲載した記事「Why the 21st Century Author is an Internet Entrepreneur」(21世紀の作家が、インターネット起業家でなければならないわけ)が、これまたとても興味を惹くのです。今回はこの記事を紹介していきたいと思います。

http://entreproducer.com/author-entrepreneur/

Why the 21st Century Author is an Internet Entrepreneur | Entreproducer via kwout

記事で取り扱われているのは、アマンダ・ホッキングといういまだ20代の電子書籍作家。
彼女を知らない人は、こちらこちらを参照ください。写真や動画なども交えて紹介されています。
すでにAmazon Kindleや各種Eブックを使って通算で100万部以上を売ってきた電子書籍時代の最初のヒロインと言える人物です。
これまで出版社とは組まず(組んでもらえず)自助努力によってベストセラー作家の地位を築き上げてきた彼女。1年ほど前には、米著名出版社と200万ドルの出版契約を取り交わしたことでも話題となりました。
記事では、このホッキング氏が出版社や編集者のサポートを得ようとして得られず、ならばと、自らインターネットや電子書籍の仕組みなどに取り組み、現在のベストセラー作家の地位を築く道のりやポリシーなどを紹介しているのです(この努力の過程については、翻訳家の林田陽子さんブログで紹介しています。こちらも併せて読まれることをお勧めします)。
  • 17歳で最初の小説を執筆するも、50社もの出版社から出版を断られる
  • 19の時、彼女は趣味ではなく執筆専業を決意した(起業)
  • そして、書店や出版ビジネスをしらみつぶしに調べ上げ、自分のテーマに関してどのような本が出版され、それがどのように売れ、読まれているのか検討した(市場調査)
  • その間、引き続き出版社へ原稿を送り続け、そして断られ続ける。最後の“お断わり状”を受け取ったのは2010年2月のこと(既存資源活用を試み断念)
  • Kindleフォーマットによる処女出版を決意、2010年4月に出版した(新技術の受容、新市場を対象に)
  • 著作の定価を1〜3ドル未満にするという試みを行う(価格破壊)
  • 最初は1日数冊の販売が続くが、徐々に情勢は変化し……
  • 2010年6月は6000部販売、7月は1万部、翌年1月には1万部以上……そして、夏には毎日9000部以上へ(販売成長)

販売実績の成長はそれだけ見るとマジックのように見えますが、そうではないと記事は説明します。ホッキング氏は周到に取り組んだというのです。

彼女は、自分の小説作品をスタートアップ(新規事業)のように扱った。

記事は電子書籍の市場はいまだ黎明期にあり、たとえば読者が彼女の作品を知り購入し始める過程を他人(市場、たとえばAmazon)任せにすることはできないのだと指摘します。

あれやこれやの手法を用いながら、作家は自らの“読者”を生み出さなければならない。
たとえば、作品を売りに出すのに先駆けてフリーのオンラインコンテンツを提供してみるなど、スマートな起業家的手法を用いて読者を創造するのである。

言い換えれば、インターネット出版の起業家となるのだ。自らの作品を、芸術家が生み落すようなものではなく、自らの“プロダクト”のように扱うのだ。
そしてそのために活用できる最大の資産は、自身の読者なのだ。

この記事が彼女を通じて言いたいことはおわかりになると思います。先に挙げた林田氏のブログでは、ホッキング氏のブログや彼女へのインタビューなどから、彼女がどのように“起業家”的に振る舞ってきたかを具体的に整理しています。最後にそれを要約しておきます。

  • 人気のあるジャンルの小説を書く
  • あらゆる販路を試す(紙の自費出版から始め、Amazon、そして各種の電子書籍市場を活用するに至る)
  • 作品を量産する(「次々と作品を出していかないと、今までやってきたことがすべて無駄になる」)
  • 価格を安くする
  • 書評ブロガーに紹介を依頼する
  • 作品の完成度を上げて、商品価値を高める(推敲過程を公開し、フィードバックを求める)
  • 読者の意見や希望を収集して、作品に反映させる……
  • これらが、いかに新規事業を立ち上げる過程に相似しているかが分かると思います。「芸術家なら」「すでに知名度を得た作家なら」わざわざ取り組まないような“事業立ち上げ”的プロセスを、彼女はたった一人で、忠実にそれを実践しているのです。

    私たちメディアビジネスに関わろうとする人間にとって、アマンダ・ホッキング氏の事例から学ぶことは、今後このような電子時代の作家、ライターが続々登場するだろうということ。そして、彼ら彼女らは、好むと好まざるとに関わらずこのようなプロセスを自ら、あるいは提供されるプラットフォームを活用していくだろうということです。そのようなサポートを彼ら彼女らは求めるのです。
    ちょうど林田氏のブログ記事の最後で、ホッキング氏が「私は書くのが好きだ。私はマーケティング、特に読者とやりとりするのが好きだ。編集作業なんかに構っていられない。私は自分の会社を経営したいなどとは思わない」と述べているように、そこにメディアビジネスにおける起業家とその支援者との望ましい新たな接点が示唆されているのです。
    (藤村)

    “消費”と“創造”——対称的関係が導くコンテンツ新時代

    わが国では Togetter や NAVER などが、インターネット上にあるさまざまな話題のまとめに使われるようになってきました。
    たとえばTwitter上で盛り上がっている話題は、ひとりのTwitter投稿者がひとつのテーマを掘り下げることからはなかなか生まれず、会話の広がり、言い換えれば情報のキャッチボールを通じて深まり豊かなものとなっていくことが多いようです。会話であるため複数の話者がある話題をめぐり情報を発します。ひとりのタイムラインを追いかけるだけでは見えづらい、隠されている豊かさがそこにはあるのです。
    また、Twitterから離れてあるブログ記事を見たとしましょう。ここではツィート140字の制約もなく、ブロガーが思い切り自分のテーマを掘り下げればそこに豊かな世界が画然と創造されることは間違いはありません。が、やはりブロガー単独で築き上げる世界の背後にも、一人を超えた豊かな世界が広がっています。それは、ブロガーは時代の様々な情報と見えない会話を繰り広げながら記事を生み出してしているからなのだと言えます。もちろん、この事情は商業メディアの記事一つひとつにあてはめても同じでしょう。

    このような、一人ひとりのTwitter投稿者、ブロガーの視点を超えた情報価値というものが浮き上がってきます。“話題のまとめ”とは、このように一人のTwitter投稿者や、あるいはひとつの記事に止まらない話題性やテーマの広がりを見いだし、それを読者ら第三者に見えやすく整理する行為なのだと定義できるでしょう。

    文字通り“まとめ”ることで全体が見通せて有用性が高まるというケースはもちろん、「そんな発想があったか!」との切り口に沿った情報のコレクションによって、各コンテンツをばらばらに見ていただけでは想像もできなかった面白みが増すことなどが、まとめのかつてなかった醍醐味です。
    ここで注意しておきたい特徴は、まとめを行う行為の中にあっては、まとめ編集者は、通常、自らは多く情報を発信せずすでに存在する情報の整理・加工に徹しているということでしょう。
    インターネットを介して飛び交う情報量が膨大になるに従い、新たなアジェンダ(話題・議題)を設定できる人々、さまざま情報の中に豊かな価値を見いだし、それを可視化させる能力を持った層が求められており、そしていまそれが誕生しているように見えるのです。

    さて、今回紹介してみたいのは米国で生まれたまとめツールのStorifyです。米国ではCuration(キュレーション)と呼ぶジャンルのサービス(製品)です。Storifyは昨年Web版として産声をあげ、最近になりiPadアプリが追加されました。この紹介を通じて私が感じる問題意識を述べてみたいと思います。

    http://storify.com/
    Storifyサイト via kwout

    Storifyを簡単に紹介します。それには大きく二つの機能があります。
    ひとつは、ストーリー(まとめトピック)を選んで読む機能。storify.comのトップページには、各種のストーリー(まとめ)が並んでいます。読者は、ここから、話題(たとえば、ホイットニー・ヒューストンなど)やカテゴリ(たとえば、ファッションなど)をたどり、読みたいコンテンツへと到達します。
    Storifyのまとめの多くは、Twitter のツイートをテキストの中心にし YouTube、Instagram の写真などで目を引くように配置されています。
    Storify のもうひとつの機能は「Create Story」。すなわち、まとめの作成です。Storify トップページから「Create…」ボタンをクリックし編集画面に移動します。ここでは、作成ページ(最初はブランクになっています)がメインに、そしてサイドバーに「Media」(利用する情報源)があり、Twitter、Facebook(現在は、Facebook の写真のみしか使えないようです)、Instagram、YouTube、Flickr、Google(検索から得られた Web コンテンツなどを利用する)等が用意されています。
    Media から選択したコンテンツをページ面にドラッグ&ドロップし、必要なテキストを加えたり、上下の配置を調整しながらまとめを作成します。
    情報源があらかじめ複数用意されており、Instagram、YouTube、Flickr など動画像系を使いやすくなっていること、検索結果から得られた各種コンテンツを取り込む、また、URLを直接入力して得られた結果を埋めこむなどの多様性が、Togetter や NAVER とのわずかながらの差異と言えそうです。これら一連の操作は簡単で、最後に[Publish]ボタンを押せば公開されます。公開対象は一般のみです。

    次に、iPad 版 Storify にも簡単に触れましょう。
    iPad 版の機能は基本的にひとつでまとめ作成機能のみです。そこに盛られた機能は上記した Web 版と異なるところはほぼありません。ユーザー体験上の差異は、iPad の特性に依るのでしょうが、タッチによる直感的な操作で完結するようになっており、プロモーションビデオにあるようにユーザーはくつろいだ状態で作業を進めることができそうです。

    Storifyの編集画面

    iPad版Storifyの編集画面。「Media」から筆者のツィートをドラッグ&ドロップしている

    さて、このように Storify の Web 版、iPad 版の紹介をしたのは、筆者にひとつの問いがあるからです。それは「まとめ」を行う行為は専門性の高い行為になっていくのか否かということです。
    Web 版 Storify は、わが国の Togetter や NAVER がそうであるように Web ブラウザを通じてコンテンツを楽しむのと並行するようにして、まとめ作成機能を登録ユーザーに提供しています。機能の多寡はともかくとすれば、[コンテンツを消費する(鑑賞する)]と[コンテンツを創造する]機能は軒を接して隣接している。言い換えれば対称性をなしているのです。もちろん、消費するユーザーの数は圧倒的なはずですが、それでも、消費するユーザーの中から、あるとき“その気になった”消費者が、新たなアジェンダ設定者となって現れてくることを期待して不思議ではないのです。

    しかし、iPad 版 Storify ではなぜか、この消費と創造の間に対称性がありません。アプリは作成専用。消費は Safari(Web ブラウザ)でと関係が分離されています。今回、Web 版/iPad 版それぞれを操作していてもっとも気になったのがこの点でした。
    対称性が失われるとどのようなことが起きるでしょうか? それは専門分化が進むということです。

    専用のツールが与えられれば、専門的にそれを行おうとする人々のための道具となります。また、専門家らの道具となれば、専門家からの要望にさらされることも必然です。
    たとえ、操作が複雑であったとしてもより高度な機能が求められることも多くなるでしょう。この高度化のプロセスは専門分化のプロセスであり、気づかぬうちに一般からは手の届かない、少数の専門家だけに喜ばれる製品へと自らも気づかぬままに変身を遂げてしまうことがあり得るのです。
    例を挙げて考えましょう。Apple はさまざまな産業を“再発明”したと評されることがあります。印刷→ DTP、楽曲録音→ DTM、音楽販売→ iTunes Store、雑誌・書籍→ iBook Store……。
    ここで DTP を例に挙げるならば、本の組版・製版・印刷の工程を従来の大型専門機器に頼っていた要素を根本的に覆したのが、Mac とそこで稼働するソフトウェア、そしてレーザープリンタ等の組み合わせでした。しかし、最終的に DTP に殺到したのは、従来から本や雑誌の出版に携わっていた専門職能群でした。残念なことに、いまとなっては、自費出版をしてみようと思いたっても DTP ソフトウェアなどは高価かつ複雑で、個人の選択肢からは外れてしまう結果となっています。

    改めて筆者の感慨を整理すると、“まとめ”のような消費と紙一重(対称的)的行為は、道具もまた専門分化する方向に進化を遂げるのではなく、より一層消費に近い体験を通じて創造的行為が行えるように進化すべきではないかということです。
    これは無茶な発想でしょうか? そうではありません。いまや私たちは Facebook や Twitter、そして各種の Web ブラウザの付加機能を通じて、価値あるコンテンツを読みながら(消費しながら)、それを知人に向けて付加価値を付けて発信したり、まとめを始めたりしているのです。この境界線があいまいな領域にこそ、本稿冒頭で述べた大きなうねりがいま生じていると見ます。
    Appleが最近リリースした“電子教科書”制作ソフト iBooks Author の評価について、出版の専門家の側からの論評が厳しく聞こえるのも、同社が DTP の轍を踏まず専門分化の方向での発展の道を排除していることがその一因と見るのは、うがちすぎでしょうか。
    (藤村)

    「メディア」はFacebookから何を学ぶのか?——“リレーションシップ・ビジネス”へのシフト

    大胆な問い

    「われわれ“メディア業界”人は、実はコンテンツ業界の中にいないのだとしたらどうする?」

    こう鋭く私たちに問うのはJeff Jarvis氏。最近も『パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ』が話題を呼ぶなど、気鋭の評論家、メディア・ジャーナリストです。そのJarvis氏が、私たちメディア業界人に向け厳しく、そして、大胆な提言を行っています。
    拙訳を交えつつ提言の骨子を追ってみることにしましょう。

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    Jeff Jarvis氏(TheGurdianより

    今回ご紹介する記事は、UK版 TheGuardian に掲載されたエッセイ「What the media can learn from Facebook (Facebookからメディアが学べること)」です。
    氏はTheGuardianの常連寄稿者なのです。

    リレーションシップ・ビジネス

    われわれ“メディア業界”人は、実は“コンテンツ業界”にいないのだとしたらどうする?

    むろん、われわれはコンテンツを生み続けている。
    だが、われわれが生み出す最大の価値は、実はそのコンテンツ自体にではなく、コンテンツが生み出すものの方にある。
    それは、人々が関心を持つトピックやトレンド、その分野の達人などに関する情報だ。
    それこそがFacebook、Google、Twitterらがコンテンツに見ているもの。コンテンツは“関わり合い(=リレーションシップ)についての信号機”なのだ。
    彼らソーシャルメディアは、この信号を読み取っては人々にぴったりのコンテンツやサービス、広告を提供する。このようにして価値を精製しているわけだ。

    彼らはコンテンツ業界にいない。リレーションシップ業界にいる。ならば、われわれもそうあるべきではないのか?

    いきなり冒頭から痛烈なパンチです。念のために整理すれば、FacebookやTwitter、Googleらは、コンテンツ自体の価値(意義)を問題にするのではなく、コンテンツへの関心や、コンテンツを紹介し合う人間関係に目を向け、それにより個々の人間へとアプローチする手法を体現していると理解します。
    これを、“メディア業界”人はまず理解せよ、というわけです。

    氏はこんな痛烈なエピソードを述べます。

    あるとき、米TVニュースの幹部が私にこう不満を漏らした。
    「FacebookやGoogleは、(彼のコトバを借りれば--)メディアが生み出す鉄を使ってクルマを製造しているんだ」。「マーク・ザッカーバーグはコンテンツの価値を軽んじている」と。

    それは違う。
    ザッカーバーグ氏はわれわれ以上に、コンテンツに価値を見出している。
    メディア業界人は、自分たちがコンテンツを作り続けているが故に、コンテンツには希少価値があり、自分たちがそれをコントロールできると思い込む。
    他方、FacebookやGoogleは、コンテンツというものは、役に立たちそうもないもの、おしゃべり、そしてリンク等々、人々が際限なく生み出すものと見なした上で、そこから価値や利用用途を精製できることを知っているのだ。

    氏によれば、メディアの依って立つのは、サービスのように一人ひとりに奉仕するような営みではなく、工場のラインのように大量生産という仕組み、言い換えればマス向け事業でした。そのため、読者一人ひとりを識別したり、その好みに合わせるような行為が苦手なのだと指摘します。
    しかし、そのようなマス向け・マス製造の価値観や事業モデルを根本から見直すべき時だとします。
    それは、「自分たちの価値はどこにあるのか」「われわれは何を提供すべきか」「どんな問題を解かねばならないのか」「われわれはいったい何の事業に携わっていて、どうやって事業を継続していけるのか」といった問いです。

    プラットフォームとしてのメディア

    この問いに対して、私はメディアを“プラットフォーム”と見なすことから始めるべきだと示唆しよう。
    何かのテーマを知ろうとし、それに対しわれわれが応えることができるようなコミュニティ。そのためにあるプラットフォームである。
    そして、コミュニティのメンバーが関心や知識を広く伝達・共有できるようにツールを提供する。Twitter、Facebook、ブログ、YouTube、Flickr、そしてTumblrがすでにある。

    それらツールを膨大な流量の情報が通過する。われわれはこの大量な情報にいかにして付加価値を与えるかを学んでいるところだ。話題の選別、権威付け、品質、事実確認、文脈付与、整理……等々。

    筆者(藤村)の理解では、メディア業界にあるわれわれは、“コミュニティ”や“場”、そしてそこに集まる人々にもっと目を向けるべきだというのが、Jarvis氏の立論の中心です。
    そこに集まっては流れ出ていく情報に価値を付け加えること。その点で、メディア業界人、ジャーナリストは優位な点を数多く有しているとも指摘します。氏はその行きつくところ、(メディア人は)「クリエーター」より「実現をサポートする者(イネーブラー)」になるべきだとの大胆な指摘もしているのです。
    これこそが、“リレーションシップ・ビジネス”の基本となるはずです。

    では、リレーションシップ・ビジネスで生きていけるのでしょうか?

    リアルな問いが生じる。何がビジネスモデルの問題か? 売上は? 利益は?
    答えは、旧来の収入モデルを複製することからではなく、新たな効率性を見出すことから始まると信じる。

    製造することは高くつく。共有(シェア)は安上がりであり、かつスケールする。
    Facebookはもうすぐ10億人にも達するユーザーを、大きな新聞社程度のスタッフでサポートすることができるのだ。

    氏の大胆な提言のおおよそは紹介できたと思います。結論部分の、「クリエーター」より「イネーブラー」、「製造」モデルから「シェア」モデルへのシフトは、従来のメディアおよびメディア人の定義を覆すものかもしれません。そのために気分を害される“業界人”もいることでしょう。
    しかし、同じ源泉からまったく別の価値を生み出す者たちがいることを、いまは謙虚に学ぶべき時なのです。
    (藤村)

    デジタルメディア、新たな時代を拓くエヴァンジェリストの資質とは?

    今回は、視点を一転させて、いま・これからのデジタルメディアを担いで運営していく人材像について、筆者が日ごろ考えているところを述べてみようと思います。
    というのも、最近、アマゾン日本法人がいよいよ国内で電子書籍ビジネスを推進すべく、「電子書籍エヴァンジェリスト」の採用活動を始めたことが念頭にあるからです。
    募集要項には、電子書籍ビジネスをリードする人材について同社がどう考えているかの一端が示されています。

    • 出版、または出版に近いメディア業界での5年以上の経験
    • コンテンツ開発・出版交渉、ビジネス開発での実績、またもしくはライセンスビジネスマネジメントでの長い経験
    • 書籍好きで出版業界と電子出版、電子機器や技術についての知識が豊富なこと
    • 業務時間のうち25%くらい出張可能なこと
    • 優れたコミュニケーション能力、戦略的・分析的能力
    • 新しいメディア業界と最先端技術への情熱
    • 変化の速い環境でスピーディーに仕事を進める力

    「エヴァンジェリスト」とは伝道師です。事業においては突破口であり推進役のことでしょう。まだ平坦でない道のりを進む事業を先導する象徴的な存在として、その役割が期待されます。

    要項には「氷山モデル」(下図参照)で言うところの“コンピテンシー”に近い項目が、ストレートかつシンプルに挙げられていて、ある種の感慨を持ちました。

    icebergヘイ・コンサルティンググループ編「正しいコンピテンシーの使い方」PHP研究所より作成 (@IT情報マネジメント より引用・転載

    電子書籍をめぐっての事業は、従来の出版、メディア事業において求められてきた知識や圧倒的な経験に加えて、最新のIT、特にネットワーク技術への理解、インターネットで起きる最新のトレンド理解などが、能力としてうまく統合されてはじめて推進できるものでしょう。

    いったんパターンができ上がってくれば、あれやこれやと悩むこともなくビジネスは流れ始めることでしょう。
    しかし、いまはその手前のところにあり、まだまだ流れを見定めることが難しい段階です。勢いエヴァンジェリストには定型化されていない各種応用問題へ果敢に取り組むことが求められます。

    “感慨”と述べたのは、アマゾンが求める人材、そして私が上記した要素を満たす人材が、従来のメディア、出版社から自然発生的に誕生するのかどうかという点で懸念を感じるからです。
    同時に、いったんデジタルメディアの側へと河を渡った“経験者”であっても、この数年、求められる能力に地殻変動が生じスキルの見直しを迫られていると付け加えておきます。

    そこで、自らの経験を頼りに思いつくままに(言うなれば乱暴に)、いま・これからのメディアのリーダーに求められる共通スキルとコンピテンシーを書き出してみることにします。
    もちろん、メディア(出版)も多種多様、業務も実際にはさまざまな職種に分かれており一意でないことは当然と意識しつつの試みです。
    名づけるなら、「スマート・メディア時代のメディア人とは」です。

    知識・技術(スキル)に類するもの(職種によりすべてが必要なわけではない)

    • TCP/IPを含むネットワーク技術の基礎知識
    • HTML、CSS、JavaScript、XMLなどデジタルコンテンツとプログラム言語に関する基礎知識およびコーディング経験、もしくは利用経験
    • インターネット広告をめぐる技術および販売実務に関する基礎知識と経験
    • フォントや組版など、雑誌・書籍のデザインフォーマットに関する基礎知識
    • SEO(検索エンジン最適化)の基礎知識と実務経験
    • 各種ソーシャルメディア(ブログ一般、およびTwitter、Facebook)への基礎知識と利用経験
    • 専門(得意)分野における勉強会、会合、メーリングリストなどへの一定の参加経験、あるいは運営経験……

    コンピテンシーに類するもの(各職種にほぼ共通)

    • 書籍や雑誌、Web・スマートフォンのコンテンツに大好きな分野を複数持つ
    • 日常的なIT(PCやスマートフォン等)の利用に不自由はなく、さらに言えば、それが好きである
    • IT(市場、製品、技術)に関する話題に人並み以上の興味を感じる
    • 優れたコミュニケーション能力、戦略的・分析的能力を有する
    • データ分析や抽象的思考に拒否反応がない
    • 新しいメディア業界と最先端技術への情熱を有する
    • 企画を立案し、発表することが大好き
    • トレンド・市場の変化を楽しめる
    • 社内外との協業を楽しく感じる
    • 自ら手を動かして作ってみることが好き……

    書きながら、実は自分に不足している要素がいくつもあるのに愕然としてもいます。
    しかし、自分の年齢であってもそれを克服して先へと向かいたいという欲求もわき上がってきます。
    それは、いまが大きな変化への転換期にあり、業界で長い経験を有する先達と肩を並べ、あるいは一気に抜き去るチャンスの時でもあるからです。
    ある意味でこのような向こう見ずな情熱こそが、成功が約束されているとは言えない新大陸を目指す際の、必要不可欠な要素かもしれません。
    (藤村)

    迫るモバイル化の波、なぜメディア企業は過ちを犯すのか?——4つのポイントを考える

    つい最近、昨2011年にスマートフォンの出荷台数がPCのそれを上回ったことが明らかになりました(「成長著しいスマートフォン、出荷台数でPC上回る」など参照)。
    米国の大物アナリストが「2012年末までには、スマートフォンの出荷台数がPCの出荷台数を上回る」と予測してからたったの2年弱。予測を1年も前倒しする急ピッチで市場は動いています。
    Webがメディア産業を大きく変えてしまった経験もあって、メディア企業(出版社、新聞社、放送局等)はスマートデバイス(スマートフォンやタブレットなどモバイル機器)への取り組みを始めているところですが、どうやらそれを急がなければならない気配です。Webをどうするか……から、モバイルをどうするかへと課題が大きく旋回しているのです。
    そこで、押っ取り刀で取り組むメディア企業の中には、このメディアのモバイル対応、タブレット対応をめぐって錯誤も犯している、というのが今回の話題です。
    題材は米国のテック系ブログメディア TechCrunch。最近「Four Mistakes Publishers Make When Bringing Content to Tablets」(コンテンツをタブレット化する時、出版社が犯す4つの過ち)という記事が掲載されました。邦訳が残念ながら出ないようなので、参考のために要旨をかいつまんでみたいと思います。
    http://techcrunch.com/2012/02/11/four-mistakes-publishers-make-when-bringing-content-to-tablets/
    ちなみに同記事の寄稿執筆者は、CNN.comや同モバイルサイトの開設に携わった起業家で、現在はタブレット版のニュースリーダーアプリ(ニュース記事閲覧ソフトウェア)を開発するベンチャーのCEOということです。
    多くの読者が、タブレットやスマートフォンに向かおうとする時。これら新しい閲覧デバイスが出版業界の今後の成功と失敗を決定づけることに、疑問の余地はない。
    成功するメディア企業なら、持てるデジタルコンテンツを新しいデバイスの上で再び活かすことができるだろう。
    それなのに、どうして他の多くのメディア企業はモバイル化戦略に躓いてしまうのだろうか?
    多種多様なモバイルプラットフォームを追いかけすぎたり、優れたメディア体験の創造に失敗したり……。
    我々は、繰り返してはならない多くの失敗を目撃してきた。
    記事はこのような書き出しで、以下に4つの“過ち”のタイプを紹介しています。

    1. “車輪の再発明”を試みては失敗する

    多くの出版社は、自社内資源を過信するという誤りを犯しがちだ。優秀な社内技術スタッフを擁していることで、自分たちのコンテンツに対し自分たちだけが最適プラットフォームやユーザー体験を創造できると思いこむワナに陥る。
    それは誤りなのだ。
    パートナーシップこそ、新しい世界にあって読者基盤を(改めて)築き上げる重要な手法だ。そのような開発能力を有した(社外の)チームに焦点を当てるべきである……。

    2.(音楽の)DJのように振る舞えない

    ラジオを聴いたり、クラブに出向いて素敵な音楽に出会えたとしよう。それは素敵な音楽を紹介してくれたDJや自分のために楽曲を探し当ててくれた仕組みのおかげだ。
    我々は素敵な音楽に出会い、そしてそれをまた人に紹介したいと思っている。音楽の世界で起きていることが、ニュースなどのコンテンツの世界でも起きようとしている。
    キュレーションやソーシャルなメディアで、自分が出会うべきコンテンツを探し出す仕組みが生まれているのだ。
    残念なことに、コンテンツやメディアと読者が出会う機会を設けるのを放棄しているメディア企業は多い。
    過去において、たとえば新聞社は宅配のように、自らのコンテンツを限られた購読者のもとにだけ届けることに専念し、出会いや共有が生まれてくること制約をしてきたのだ……。

    3. ブランドが持っている潜在能力を活用しない

    多くのメディア企業は、多数の(メディア)ブランドを創造し運営している。たくさんのコンテンツを日夜生み出しているにもかかわらず、そのさらなる活用には積極的でない。
    これら価値あるブランド力を活かし、コンテンツを組み合わせマッシュアップしながら、より垂直でニッチなメディアを創造すべき機は熟している。
    アグリゲーション(コンテンツの収集)によってメディアを再創造すべき時なのだ。これにかかるコストは限定的で、得られる対価は大きい。
    より深いテーマに焦点を当て、新たな配信などに取り組むことが、既存の収入源などとの共食いをせずに実現する道である……。

    4. もはや旧くなった検索対策を行う

    従来、自社のコンテンツを見いだしてもらう主要な手法は、検索エンジン対策(SEO)だった。
    タグ付けなどオーソドックスな対策を施すことで、検索エンジンに見いだしてもらうのが効果の高い施策だった。
    しかし、それは幅広くフリーなアクセスを許し広告収入を生むWebメディアにおけるスタイルだった。
    いま、モバイル上のニュースリーダーアプリでは、異なるモデルが必要になっている。
    アプリ通してニュースを読む読者は、ニュースを読み進む流れの中にあって、関連する記事と出会い、そしてそれを再び投稿したり共有することを通じて、再びメディアへのリンクを生み出す。
    記事と記事の関連性、読者の背景にある文脈への理解しての記事の推奨などが新たに必要になってくるのである……。

    以上、駆け足で紹介してきました。急速に台頭するスマートデバイスの世界では、同じ“デジタル”分野のメディアでありながらも、かつてのWebに対し、影響力を築き上げるための文法や作法が異なることが伝わってきます。

    同記事の寄稿者がニュースリーダーアプリ開発を行っている新興企業のトップであることを割り引いたとしても、自社資源への過信に陥らず、キューレション/アグリゲーション時代、検索エンジン対策全盛からの転換を果たすべきだと、自戒を込めて読みましたが、いかがでしょう?(藤村)

    各デバイスの特性からスタートするメディア開発のポイント

    本稿では、至極シンプルなテーマを考えてみたいと思います。
    それは、メディアの表現形式を根本的に制約するかもしれない「デバイス」の特性についてです。

    経験的な認識ですが、メディアビジネスに携わる多くの人々が、「メディアの本質はコンテンツ。コンテンツの価値は形式に左右されない普遍性がある」と信じ込んでいます。
    今回は、ことの原理、本質の側に深入りせずに論を運びたいと思いますが、メディアの本質に、その表現形式は分かちがたく関与していると筆者は認識しています。
    前回述べた(「コンテンツの戦略的再利用」)ように、“Write Once, Read Many”、すなわち1回書いた(制作した)コンテンツを多様に使いこなすべきという私のテーゼも、表現形式の特性上の差異というハードルを簡単には越えられない側面もありるのです。

    それはさておき、今回題材として紹介したいのは、米国の「全米雑誌協会」と呼ぶべき業界団体 The Association of Magazine Media による充実した調査レポート「Personal Mobile Devices: Tablets, E-Readers and Smartphones-Implications for Publishers and Advertisers.」(「パーソナルモバイル機器:タブレット、eリーダー、そしてスマートフォンによる出版社・広告主への影響」)です。
    30ページを超える詳細な文書で、PDFでダウンロードできます。大変に充実した資料です。英文ではありますが一読をお勧めします。

    PersonalMobileDevices

    Personal Mobile Devices: Tablets, E-Readers and Smartphones-Implications for Publishers and Advertisers

    同資料は、タイトルにもあるように、従来の印刷雑誌に対して、PC、そして「パーソナルなモバイル機器」などそれぞれの特性を比較しつつ、会員出版社(メディア企業)らにデジタル分野、特に「パーソナルなモバイル機器」へのメディア開発の取り組みを促すものです。

    この資料中に、これらデバイス(機器)の特性を整理した情報があります。シンプルですがポイントを押さえたものです。以下に和訳して引用しておきます。

    印刷雑誌と比較した際の、各種デバイスの特性

    Devices

    注:アスタリスクは、Nook Color

    先に、いくつか注釈をしておきます。
    「eリーダー」とはAmazon Kindleに代表される書籍/雑誌閲覧専用デバイスを指します。「インタラクティブ性」「マルチメディア」に「有*」とあるのは、資料は注釈で「Nook Color」が該当するとしています。
    しかし、調査の後に発売された「Amazon Kindle Fire」もここに加えるべきでしょう。典型的なeリーダーとタブレットデバイスとの溝を埋める種類の製品がいまや誕生しているのです。

    「ロケーション検知」は、デバイスの所在場所が何らかやり取りできる、さらに言えば、所在によって発信する情報の選別などが可能となるなどを含意しています。
    言うまでもなく、この機能があれば店舗や観光地などの情報に付加価値を加えられます。
    「印刷雑誌」の特性が、この点で「低」とあるのは、雑誌(や新聞など)は、その販売地域によって掲載内容にある程度の差異を付けることができるからでしょう。

    上記表に掲げられた各々の特性は、こうシンプルに整理すると目新しい発見などないようにも見えます。
    しかし、よく考えれば、このように各種デバイスを横断的に比較する自体とても意義のあることだと分かります。

    メディア企業は、自社手持ちのコンテンツやメディアの特性や方向性と、これら各デバイスの持つ特性を組み合わせることで、強いメディアの方向性を企画しやすくなります。
    さらに言えば、上述したようにコンテンツの使い回しをするという方向であっても、それぞれのデバイス特性に合わせた“味付け”を施すことで、読者(ユーザー)体験の拡張が可能だと思います。
    たとえば、レストランガイド(外食レビュー)メディアを考えた際、スマートフォン版メディアでは印刷雑誌に掲載されたコンテンツにロケーション機能を加わえることで、印刷雑誌では得られなかった利便性という体験を得られることは言うまでもないでしょう。

    最後に、粗雑ですが、筆者が念頭に置いているそれぞれのデバイス特性にフィットしたメディアの方向性について整理しておきたいと思います。

    • PC/ノートPC……CPUパワーと比較的広い画面、積極的な操作が可能な特性で、検索などをしながらの情報閲覧、動画などを交えた総合ニュース的展開
    • タブレット……家庭でくつろぎながら、印刷雑誌よりリッチで動的な情報メディアの展開、また、少人数間での商談などに用いる動的なビジュアルカタログへの展開
    • eリーダー……すでにある印刷書籍、印刷雑誌を何冊も手軽に持ち歩き読ませる展開、電子化に付加価値を追求せずPDFに親和性のある出版の展開
    • スマートフォン……モバイル性を駆使して、ストレートな情報を許された時間に合わせて次々閲読するようなニュースメディア、地理情報との組み合わせで価値を生むようなガイドブックなどの展開

    それぞれのデバイスの特性に即してメディアを開発するという視点は、まだ始まったばかりです。上の例はまだまだ的を射貫いていない気がします。
    今後は、力のあるメディア企業は、これらのデバイス“すべて”を対象に適切なメディアを開発していくことになるでしょう。
    また、中堅中小のメディア企業では、思い切って特定のデバイスに集中、その上でのメディア開発に経験やノウハウを積みニッチの強みに走ることになるはずです。

    いずれの方向性を採用するにせよ、コンテンツを盛る形式であるメディア、デバイスの特性に無自覚ではおれない時代が始まっています。
    そのようなノウハウも、引き続き本ブログで紹介していきたいと願っています。(藤村)

    ※2012.02.14 細かい文言を訂正しました。

    コンテンツの戦略的再利用——デジタルメディアの死活問題?を考える

    本稿では、デジタルメディアの特性をどのように活かすのか、というテーマに触れたいと思います。

    デジタルメディアでは、いったん製作されたコンテンツは、複製や転用その他多様な活用が容易です。
    これが最大、といってよいほどの大きな特徴です(「メディアのデジタル化が開く根本的な変化」でも触れました)。
    言い換えれば、コンテンツは再利用しなければソンなのです。
    この点、デジタルメディアの経営を通じてインプットされていたはずですが、下記の記事を読むまで問題意識を希薄化させていたことを正直に述べておきます。

    その記事とは、AdverTimes 掲載の片岡英彦氏「ジャニーズ事務所と吉本興業の『二次使用』について戦略広報の視点で考える」です。
    同記事は、広報(PR)と広告を橋渡しして効果的なプロモーションを行うことをテーマにしていますが、私たちのようにデジタルメディア推進をテーマに掲げる人間にも示唆に富むものです。一読されるべきでしょう。

    コンテンツ二次利用〜アドタイ

    ジャニーズ事務所と吉本興業の「二次使用」について戦略広報の視点で考える

    「二次使用」の戦略性

    コンテンツには、何度でも稼いでもらう
    あるいは、何度でも稼いでもらうことを意識したコンテンツづくり、そのための業務スキームや技術インフラづくりが、デジタルメディア開発や運営にとって重要です。
    それが、「コンテンツの戦略的な二次利用(再利用)」です。

    筆者が想定するコンテンツ再利用のケースを整理してみましょう。

    1. 自社メディア用に執筆・制作し掲載したコンテンツを、他のメディア企業や事業会社の書籍、雑誌、パンフレット等印刷メディア用途にライセンスする
    2. 自社メディア用に執筆・制作し掲載したコンテンツを、他社サイトへの掲載用途にライセンスする
    3. 自社メディア用に執筆・制作し掲載したコンテンツを、改めて自社の特定テーマサイトなどへと転用する
    4. 自社メディア用に執筆・制作し掲載したコンテンツの一部または全文を、自社のメールマガジンなどへと転用する
    5. 自社メディア用に執筆・制作し掲載したコンテンツを、自社のスマートフォン、タブレット用アプリ、電子書籍などのコンテンツへと転用する……

    1.および2.の他社へのライセンスでは、対価を金銭、もしくは金銭相当のものとして回収します。これは純然たるコンテンツ商品の販売事業です。したがって、“戦略的”もなにもなく、ライセンシー(候補)に対して、積極的に営業できる仕組みや体制が必要になります。
    他方、3.以降は自社内用途に向けた複製、再利用ですので、基本的にはデジタルメディアの特性を最大限に活かしつつチエを絞っていくべきです。
    筆者(藤村)は、1.および2.の営業活動に傾注するより、実は3.〜の取り組みのほうが戦略的重要性が高いと考えています。

    理由は、こうです。

    • コンテンツのライセンス販売は低価格化している。さらには、“無料”(代わりに、トラフィックを戻すからとのバーター型取引)というケースが圧倒的になってきている
    • であれば、自社サイトへの“トラフィックバック”に主眼を置き、それに効果的なライセンシーらへ働きかけるべき
    • 社内での再利用であれば、“商品”を極小コストで生産できる可能性があるのでより積極的であるべき

    このような取り組みには、大きくは二つの方向で課題が待ちかまえています。

    再利用を前提としたシステムづくり

    ひとつは、再利用性の高いフォーマットでコンテンツを維持すること、そして、できれば各種条件でコンテンツを取り出せるようにデータベースに格納するなどです。
    そのための合理的な解決策は、CMSを中心に据えたシステム再構築というのが従来からの常道でした。
    コンテンツ執筆・制作〜(Webへの)掲載〜(修正や再利用のための)格納管理と、首尾一貫したフロー、データとテンプレートを分離して管理するなど、システム構築を通じて実現するのは大仕事です。さらには、社内外のライセンシーに向けどのようにコンテンツを受け渡しするかなど、それぞれ違いがあれば、そのつどシステム改修が必要になったりもします。
    この周辺は、事業会社向けに設計されたパッケージや絵に描いたようなプロプラエタリシステムが闊歩する世界ですが、最近ではそのような大がかりなシステム(再)構築ではなく、検索技術やデータフォーマットの変換などを組み合わせたりと、気の利いたポイントソリューションでコンテンツ再利用を柔軟に促進するアプローチも見えてきました。

    著作権等、権利関係上の対処

    もう一つの課題は、コンテンツをめぐる権利関係への対処です。再利用のニーズはあるものの、これがネックで利用に及ばないというケースが多くあります。
    映画・TV番組などと異なり、テキスト中心のコンテンツを扱うようなケースは、利害関係者は多くなく、権利関係の調整は比較的ラクなはずですが、それでもタイムリーな活用をしようとすれば、毎度迅速な利用許諾を得る事務手続きは重荷です。
    そこで、執筆者との執筆契約(もしくは初回執筆時に交わす包括契約)に、このような再利用のケースを念頭に置いた内容を取り交わすことが肝要です。さらにいえば、平時に常連執筆者との間で包括契約を順次リニューアルしていくなどの計画性が求められます。
    忘れてはいけないのが、文章(テキスト)の筆者だけでなく、写真(家)なども権利に関する利害関係者であることです。 ファッション系メディアなどでは、写真として扱われるタレントやモデルらの肖像権なども、任意の再利用が利きにくい契約であることが多いと聞きます。これらを順次計画的に契約書面や報酬制度などとして改訂していくことがデジタル主流のメディアビジネスにとり喫緊の課題になってきています。

    社内のインセンティブや考課制度としても検討する

    以上で終わりかというと、実はそうではないのです。
    上記した3.〜5.の社内利用用途なら、利用は容易かと言えば、そこにはハードルが残されます。
    それは、社内他部門で制作されたコンテンツを自由に扱えるようにするには、社内取引上の制度整備が求められます。
    厳密に言えば、売上の分配か原価の配賦が求められるかもしれません。
    あるいは、“自分が精魂込めて仕上げた記事を横取りされて……”と快くない心持ちが生じるかもしれません。部門間でそれを取引として解消するように地ならしすべきケースもあるでしょうが、たとえば、他部門のスタッフが作ったコンテンツでビジネスした場合、オリジナルに携わったスタッフにお礼を言う“ルール”を設けた(言い換えれば、金銭評価はしないことにした)米国のメディア企業の例を聞いたことがあります。
    社内で複雑精緻な取引ルールやシステムを作り込むのも、内向きすぎるかもしれません。上記のようなスタッフ間でリスペクトし合う習慣なども、コンテンツの戦略的な再利用に欠かせない整備なのではないでしょうか?

    いずれにしても、どのような再利用が、再度のリターン(稼ぎ)を生むのか積極的なチエの使い方が重要です。
    筆者としては、スマートデバイス上にWebとは異なるユーザー体験を創造する方向で、再利用の付加価値を高める可能性を強く意識しています。(藤村)