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WebメディアがSEOを捨て去る理由 The Atlanticの事例を中心に

検索エンジン最適化(SEO)は長らく、Web メディアの守るべき文法だった
しかし、その常識が揺らぎ始めた
本稿では、SEO を捨てソーシャルからの流入強化に
シフトを始めたメディアの事例と背景を考える

90年代、Web という大海原を航海するのに必要なものはポータルでした。Yahoo! はこの大海原に対して「ディレクトリ」(カテゴリ別のリンク集)という道しるべを用意し大成功を収めました。
現在もその利便性は十分に大きいのですが、2000年前後から、Web 航海のための最重要ツールは検索エンジン、取りも直さず Google へと傾いていったことは周知の通りです。

Google の検索技術は「ページランク」を立脚点に始まりました。ラフに言えば、多くの被リンク(他のページ/サイトからのリンク)を有するページを高い“ランク”に評価するものです。これが検索順位に大きく影響する要素とされてきました。
Google は、Web の大海原を率先してクロールしまくり、ページとページランク情報を収集してきました。この情報が豊かでリアルタイムに更新されればされるほど、Web を旅する人々にとってのスタートページは検索エンジンとなってきたのです。

この経緯は、Web メディアの成長発展にとっても見逃せない要素です。
Web を拠点とするメディアにとり、新規の“旅人”を的確に自メディアへと誘導する最大の材料は、(Google の)検索結果であるという時代が十年近く続きました。Web メディア各社(もちろん、“メディア”企業であろうがなかろうが、なのですが)が、自社サイト、自社コンテンツを検索エンジンへ最適化(検索の対象となり、検索結果の上位に表示されるように調整する行為=SEO)することに血道を上げるのは、このような理由からです。
メディアやコンテンツの特性によりますが、検索されやすいメディアやブログでは、Google 検索エンジンひとつからの流入が来訪者全体の約6割を占めるケースまであるようです(筆者が経営に携わった商業メディアでは、ここまでは高くありませんでしたが、数十%に上るとは言えます)。

現在では、Google の検索結果に影響を及ぼす要素は、ページランク(被リンク数)だけで説明するような簡単なものではなくなっていると言われます。検索エンジンに“好感”されるには、被リンク数を増やす努力は当然として、HTML ファイルに含まれる各種タグの的確な記載、検索されやすい文章・文字列による記述、サイト構造の整理……等々多岐にわたる最適化が必要というのが定説です。注意して欲しいのは、サイト構造や HTML 記述など読者にとり不可視な要素はもちろんのこと、SEO は記事タイトル、リード文、記事本文などにも及ぶということです。SEO が、単に技術の問題に終わらずメディアの核心部分に触れてしまう要素がここにあるのです。

さて、長くそのメディアへの流入量を司ってきた検索エンジンの威力に異変が起きています。
その要素は、ソーシャルメディア、端的に言えば Facebook です。Facebook アプリや Facebook ページを通じてユーザーとの関係を築こうとするメディアが増えています。

まず、紹介するのは The Guardian のケースです。journalism.co.uk 掲載「Social predicted to overtake search as Guardian traffic driver」(Guardian へのトラフィック原動力として、ソーシャルが検索を上回ると見込まれる) を見てみましょう。

The Guardian は昨秋に同メディアの Facebook アプリをリリースしました。
記事が掲載された3月の時点で、累計800万回、日々4万回ダウンロードされるという人気を博し、そのため広告収入は同アプリ開発費用をその時点でリクープできるほどにまでなっていると述べています。
注目したいのは、アプリ投入時期には同サイトへ Google 検索からの流入がやはり全体の40%を占めていたのが、チャートに見えるようについには逆転が起きたことです。

また、今回は詳細を省きますが、Google 自身がここまで説明してきた検索技術に加えて、最近、ソーシャルメディアの要素を色濃く取り入れた変更を行いました。この点も Web メディア が検索エンジンに代わってソーシャルメディアからの流入強化を強く意識する背景になっています(Poynter. 掲載「Social media replacing SEO as Google makes search results personal」<Google が検索をパーソナル化しているように、ソーシャルメディアは SEO を置き換えつつある> 参照)。

さて、次に紹介するのは、これも成功事例と言われることが多い The Atlantic です。Mashable 掲載「Why ‘The Atlantic’ No Longer Cares About SEO」(Atlantic はどうして、もう SEO をかまわないというのか) を基にさらに問題意識を膨らましていきましょう。

この5年間、継続的に The Atlantic Online への来訪読者が増えている。どんなメディアでも起きるとは言えないような成功を同メディアは収めている。
2008年にペイウォール(有料購読制)を廃止して以降、来訪者は50万人から月間1300万人へと跳ね上がっているのだ。
同社は“デジタルファースト”戦略を掲げ、さまざまな手を打ち新たに関連サイトをオープンしたりしてきた。
さらに、編集方針として、オンラインニュースの消費スタイルの大きなシフトを図った。それは、同サイトへの流入源を検索エンジンより、重要性の増すソーシャルメディアを強調するものである。

こういった取り組みの結果についてもこう述べます。

16か月前、われわれは検索からと、ソーシャルからと同じほどの流入を得ていた。いまは、(全流入の)約40%をソーシャルメディアから得ている。
その結果、じっさいのところ執筆陣は SEO について考えなくなった。今は、いかに、(ソーシャルメディアを通じて)記事が口コミ伝播するかを考えている。

執筆陣が SEO を意識しなくなる、と言及していることは要注目です。

すでに触れたように、SEO を突き進もうとすると、記事のタイトルやリード文、見出しなどには、検索されやすいキーワードを盛り込むことが必要になってきます。自らのサイトを訪れる検索エンジン経由の読者が用いた検索語は、そのような使用すべき“キーワード”辞書のような役割をなします。
検索エンジンに“好感”されるには、検索でよく用いられるキーワードを記事の重要箇所にちりばめることです。言い換えれば、読者が見て「?」と思うような凝った表現は禁じ手になってきます。たとえば「IBM」と「Big Blue」という表現があれば、後者は検索に使われる頻度という点から評価すると、使いづらくなってくるでしょう。

このような SEO 重視の振る舞いに失笑される読者も多いでしょう。しかし、日米いずれでも、これ以上に涙ぐましいほどの“検索エンジンだまし”策を積み重ねたサイトが数多く存在します。SEO に見切りをつけ、ソーシャルメディア、言い換えれば人によく読まれ、人の話題にのぼることを重視するということは、書かれる記事の本質に影響を与えるシフトであることは理解できます。

The Atlantic Digital(Atlantic ブランドを冠したオンラインメディアは何種類もあるのですが)の編集長は、Google 向けではなくソーシャルメディアに最適化したタイトルはどのようなものか、という問に対し以下のように述べます。

すぐれたタイトルとは、すぐれたタイトルなのだ。それは明瞭で知的でなければいけない。われわれは機械のために書いているのではない。人間のために書いているのだ。

このようなストーリーを追ってくると、長らく続いた検索エンジン時代の影響が、元来人が読むべきメディア(コンテンツ)という価値観からずれ、検索エンジン最適化を過度に重視する悪弊を生んできたことに改めて気づかされます。ソーシャルメディアを流入源としてメディアを設計し直すということは、単に Google から Facebook へといったトレンド的な話題ではなく、メディアが何に焦点を当てるべきかという観点で重要な意義を持つ話題です。

しかし、Facebook 内での情報伝播やトラフィックへの過度な依存も、いずれ不健全な偏りを生む可能性があることは、別の機会に論じてみたいと思います。
(藤村)

Web 開発者は IT 部門に所属してはならない!? メディアが突き当たる組織論的課題

デジタル化を推進するメディアの重要資源はエンジニアだ
しかし、エンジニアの役割は皆同じと考えてはいけない
技術部門の“攻めと守り”を見通した組織論が、重要なマネジメント課題となる

これまでも本稿では、メディアのデジタル化、デジタルメディアのビジネス課題を多く論じてきました。
メディアのデジタル化が新段階に突入するにつれ、従来の“広告か、さもなければ個人課金か”という、二大命題に収まらないさまざまな仮説や挑戦が浮上します(ここに、デジタルメディアをめぐる“いま・ここ”の課題があります)。
浮上する新たな事業課題を実現するためには、システム製品の導入、新技術の開発、あるいは新たなビジネスメソッド(手法)といった個別の要素の遂行だけでは不十分です。これらを掌握してプロジェクトを遂行する、事業収支にまで責任をもつ能力が求められます。
このような役割は、ビジネスの中核機能であり簡単に外部(外部パートナーやコンサルタント)へと委ねるわけにはいきません。

そう考えれば、既に存在するスタッフやチームに対するモチベーション喚起策や部門の配備など、企業内の人事・組織論的課題が、実は“旧くて新しい”大きなものとなって見えてきます。

今回、焦点を当てて考えてみたいのは Web 開発部門、あるいは Web 開発者の位置付けについてです。

題材としたいのは、デジタルメディアのビジネスを専門的に論じる Web メディア emedia Vitals 掲載の「Should your Web team report into IT?(Web 開発チームは、IT 部門に帰属すべきか?)」 。同メディア CEO で、About.comをはじめ数々のデジタル系メディアの事業にたずさわってきた Prescott Shibles 氏によるブログ投稿です。

Shibles 氏は、かつての職場で長時間の議論の末、上司であった COO/CFO に「さあ、議論は終わりだ。Web 開発者は IT 部門の配下に置く!」と宣告されたことが忘れられません。

議論は8、9年前のことだ。しかし、そこでの問題は今もなお多くのメディア企業やマーケティング系企業にとり重要なテーマだ。
もし、上司が「Web 開発者は IT 部門に従属させる!」と主張したなら、君は強くそれに異議を表明する必要がある。Web 開発者はマーケティング部門、あるいはメディア部門に統合すべきなのだと。

当時 Shibles 氏はデジタルメディア部門(もしくは、Web を介して販売を行うような事業部門=マーケティング部門)に属しており、配下に Web 開発者(チーム)を擁していたのが、“開発者は IT 部門にいるべきだ”とされ、スタッフを引きはがされた経緯があるようです。
上司が考えたことはわからないではありません。技術者は似通ったものに見えますし、似たような能力を有する資源が間接部門と事業部門に分散しているのは、すべからく効率性を重視するタイプのマネジメントにとり非効率と映っておかしくありません。

ここで企業における IT の位置付けについて、簡単に触れておくことにします。
いまやどのような企業にとっても、IT がその事業基盤に大きな役割を果たしていることは論をまちません。しかし、事業の基盤であればあるほど、その役割は重要で、その結果、“攻め”と“守り”の両極へと役割期待が拡大してしまうのです。

ポイントはこうです。

  • 人的労働の自動化・効率化によるコスト引き下げは、競争優位性を高める(攻めの側面)
  • 新しいビジネスモデル構築は、新たなシステム開発を伴う(攻めの側面)
  • 事業運営をリアルタイム化・俊敏化するには、各種データを蓄積し分析するシステムが必要である(攻めの側面)
  • IT は、重要な事業基盤なのだから、24時間・365日停止してはならない(守りの側面)
  • 事業基盤であるシステムの構築や更新には投資的要素が大きくなり、失敗や投資過多に陥るリスクへの万全な対策が必要だ(守りの側面)

IT は専門性を必須とします。開発会社やある種のインターネット企業などを除けば、“デジタル”を標榜する企業であってさえ、IT 系スタッフは全体に対して少数になってしまうというのが一般的です。
本ブログのテーマであるデジタル化を加速するメディア企業にあっても事情は同じです。希少資源であるが故に IT スタッフの位置付けはつねに定まらないものなのです。

例えば、Web メディアを運営する企業では、“攻めと守り”の両極化は深刻な齟齬をきたすことがあります。
24時間 × 365日ダウンしないことを求められる一方、インターネットのトレンドをキャッチアップするメディアの開発やリニューアルプロジェクトは日々続々と誕生します。
安全安心が第一というお題目でこれらを遅延させることは、事業を推進する立場からみればフットワークの悪さとして映ることでしょう。
また、メディアの効率的な運営を支える CMS(コンテンツ管理システム)などは、メディアビジネスの基盤中の基盤であるため可用性が最重要。できればシステムは枯れたものにしたいところですが、この分野を他社メディア企業との競争優位性へと位置付けようとすると、厳しい機能追加競争に乗り出さねばなりません。

IT に求められるこのような両面性は、そのスタッフが所属する部門やミッションにより大きく振れることが経験上理解できます。
こんな事情を整理すると下表のようになるはずです。

WebDevlopper
Shibles 氏の論に戻ると、氏は Web 開発スタッフに自らの帰属を考えさせるえるための論点として以下の5つを掲げています。

  1. これからの5年、どんなビジネスに属していたいのか?
    ……組織が成長すれば、いずれ手続きや標準を重視する文化が高まってくる。“ガレージを出なければならない時”がやってくる
  2. 自分たちの部門の目的はなにか?
    ……間接部門である IT にはリスク回避と継続性が求められる。一方、事業部門であれば、競争優位のための“破壊的断絶”や今までとは違う手法が必要になる
  3. ビジネスを追求するスピードをどれほど重要視するか?
    ……事業部門と間接部門の感覚の違いは、コメント不要でしょう
  4. 管理者は、業務をサポートしてくれる存在か、それとも単なる官僚的か?
    ……こちらもコメントを避けましょう。
  5. 自分たちがめざすのは事業の成長か、それとも利益の追求なのか?
    ……上記したように、おうおうにして企業は IT に対して二兎を追わせようとする。しかし、それは両立し得ない

エンジニア諸氏をどこに帰属させるか、というテーマは、デジタル化の道をひた走るメディア企業にとり避けられない大いなるテーマです。
エンジニアの扱いに慣れないマネジメントであればあるほど「エンジニア同士まとめておけば良い」と考えがちです。

述べてきたように、片や全社の業務システムがダウンしたりしないようにと心を砕くスタッフと、片やライバルを出し抜くためにいかにクールなものを創れるかと取り組むスタッフとでは、その存在は重なりにくいことがわかります。
もし、それでも大部屋主義に意義があるとすれば、両極化しやすい役回りを定期的にシャッフルし、そのエンジニアの将来の芽を摘まないようにする育成的な配慮が挙げられます。ここから先はその会社が抱く価値観に従うしかありません。
(藤村)

電子書籍と印刷書籍の共存時代 “クラウド書架”への進化がブレークスルーに

国内で電子書籍の普及が進まないとの声が挙がっている
しかし、電子書籍そのものを議論する以前に、
総合的な読書体験を進化させるアプローチにも注目すべきだろう
それはクラウド化された書架が起点となる

2015 年に国内の全書籍売上が現在と変わらぬまま停滞気味に推移するとして 8000 億円。これに対して最近の調査結果では、電子書籍の売上は約20%を満たすに過ぎないと予測されています(下図参照)。ここ数年高まってきた電子書籍市場の成長期待を裏切る予測ですが、とは言いながらも、電子書籍がじわりと存在感を高めていることに間違いはありません。

このことからも、筆者が確信するのは、印刷書籍と電子書籍が長く共存する時代が到来しているという点です。
印刷も電子も——。読書家にとり両方のオプションが目の前にある。それは健全なことです。

そこで、電子化という未来を考えた場合にも、電子書籍“だけ”を議論をする以外に目を向けていく必要を感じます。
本稿では、印刷も電子も混在する状況下で、いかに読者が電子化に前向きになれるかという条件を考えてみましょう。

「読書」という体験は、実は書籍と読者が向き合っている時間に止まるものではありません。
読書体験は、その“向き合う”時間の前後へとすそ野を広げているものです。この点は「読書体験を拡張する」で素描しました。
いま改めて電子書籍の伸張を阻むもは何かを、この拡張する読書体験という視点から見ていく必要があります。

印刷も電子もの混在状況をどうやってマネジメントするか?
Web を介した電子の書架サービスが筆者に思い当たります。昨今ではこの種のサービス、アプリはすぐさま 20 ほども目に付くようになりました。
残念なことに、筆者には、これの多くは“子どもだまし”のように映ります。
サービスインすると、デザインされた各種の“本棚”が画面に現れます。そこに蔵書を登録する。すると、書棚には個々の書影が現れ……。
要するにリアルな書棚を戯画化しているだけのように見えます。
バーチャルな書架の付加価値としては、蔵書する書籍についての書誌情報を使える、書棚自体を自分の書物の趣味として公開できるぐらいではないでしょうか。

しかし、印刷と電子、いずれものタイプの書籍も蔵書するようになってくると、このようなバーチャルな書架が果たすべき役割は大きくなるはずです。
電子書籍と印刷書籍のデータがマネジメントされ、文字通りクラウドを介して任意のデバイス、任意の場所からアクセスできる——。そのようなイメージが広がります。

読書のための基盤として、読書家が蔵書を効率的にマネジメントする一方、読書の本格的ないつでも・どこでも化をするために——。
筆者は“クラウド基盤に立った書架”の実現を強く期待します。
これがあってようやく、印刷書籍の読書体験に対し電子の読書体験を、利便性の観点からも豊かな未来図を提示できるようになるのです。
イメージ化すれば、下図のようになります。

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ポイントは、これまで購入し文字通り積み上げてきた印刷書籍、そしてさまざまなフォーマットやサービスとして提供されている電子書籍をともにマネジメントできるかのかどうかにかかっています。

世の中に、印刷書籍や雑誌、そして、電子書籍や雑誌を、まったく別々にマネジメントしたいと思う人は、いないでしょう。
手元には数十年の半生で購入し積み上げてきた印刷書籍があります。「読書家」ともなればこの数は多くなり、単純な保管場所にも困り、それゆえ所有しながらも蔵書へ迅速にアクセスすることも難しくなっているはずです。
読書家はこの時、半生を通して出会った書籍の電子化を夢見るのです。
どこに置いたかも分からなくなってしまった名著から金言を自由自在に取り出せたら——。
筆者自身、そう思ったことが一再ならずです。

ほとんど“死蔵”されてしまった愛読書(個人的な体験として、書籍の山からの発掘に失敗し、同じ書物を購入し直したことさえあります)に、新たな息吹を吹き込むためにも印刷書籍の電子化が必要です。
そして、いったん電子化された書籍は、いわゆる電子書籍と同様、いつ・どこからでも、どの機器からもアクセスできるようにすべきです。PDFやEPUBのデータをダウンロードしただけの電子書籍では、それがどの端末のローカルに存在しているのかで、読書の時と場所を制約されてしまいます。
おのずと答えはクラウド基盤へと絞られます。
また、筆者の個人的な読書習慣ですが、価値ある書物であればあるほど、傍線やメモの書き込みが多くなります。
これをカギ(INDEX)に、蔵書から印象深い箇所を自在に取り出せるようになれば、読書体験に大いなる付加価値がもたらされます。
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印刷書籍を自炊して iPad 上のアプリで表示した

ここで提案しておきたいのは、書籍電子化の波が到来する以前の印刷書籍を“電子化”する手法の整備です。

そうです。自炊のことです。
この2年ほどで急速に立ち上がった自炊事業(書籍の裁断、スキャニング代行業)は、現行法規、出版社や一部著者らのキャンペーンにあいあえなく終息に向かっているようです(記事参照)。
しかし、積極的に“自炊”に向かった読書家たちにとり、蔵書を裁断・スキャニングするサービスへの需要は宙に浮いたままです。
筆者は、ここで出版社など業界団体で自炊代行業を認証する仕組みを提供するのが打開策と考えます。
つまり、法的にグレーな事業者や代行メニューを排除し(あくまで書籍の所有者から委託を受けて作業を代行する、裁断後の書籍の返却もしくは適正な廃棄プロセスなどを実施する)ガイドラインを担保できる事業者を認証し読書家のニーズに応えていくのです。
出版などの業界とこの代行事業者間で以前と異なる“友好関係”が成立すれば、これまでの自炊では満たされなかった高度な電子化サービスも提供されやすくなるでしょう。
たとえば、絶版扱いとなってしまっている旧版を書肆自ら自炊し少量販売するようなビジネスにも活路が開けます。

次に、印刷書籍の対極である電子書籍の状況はどうでしょうか? 印刷書籍を多く蔵書する際の“不便”を克服する未来の姿を十全に提示できているでしょうか? 残念なことに、体験的には“ノー”と言わざるを得ません。
さまざまな電子書籍販売、サービスがすでに台頭していますが、ファイル形式は多様。ユーザーがダウンロードすべきものもあれば、固有のクラウド型(本の実体をユーザーが取得しないもの)などあり、統合的なマネジメントは到底できていません。
クラウド型サービスであっても、PC(Windows)から閲読できてもMacでは不可というケース、各種のモバイル機器への対応がばらつくなど悩ましい限界が山積です。
むしろ、印刷書籍の蔵書のほうが自炊等によるデータ化で将来への担保もできるのに比べ、電子書籍のプロプラエタリ化(タコツボ型)のほうが気になる状態です。
こんな状況では、読書家にとっては“読み捨てでいい”読書の方向でしか電子書籍に適合できません。

思わず悲観的な素描になってしまいましたが、問題解決の芽もあります。
詳細を論じるのは避けますが、たとえば、「オープン本棚プロジェクト」のような試みも誕生しています。
なにより電子書籍提供上のフォーマットを、オープンな標準である PDF、EPUB、そして“デファクト標準の可能性がある” Kindle フォーマット、加えて Web 標準である HTML5+CSS3 を中心に互換性を強く意識した業界全体のコンバージェンスが進む機運は、潜在的には高まってきています。

改めて、論を整理しましょう。

マネジメントする対象のコンテンツ

  • 法的にクリアな事業者もしくは所有者個人による自炊 PDF
  • 数種の標準フォーマットの電子書籍、および青空文庫など Web 標準フォーマット

書架の基本機能

  • 書誌情報等を使った保有書籍のデータベース化
  • アノテーション(書籍への書き込み)情報のデータベース化
  • 書影等の表示
  • 各種検索機能
  • 保有書籍およびアノテーションの公開などソーシャル化

情報機器端末の機能

  • Windows、Mac、Linux等ネイティブアプリ開発用 API 提供
  • iOS、Android等モバイル端末向けネイティブアプリ開発用 API 提供
  • ブラウザを仮想表示端末とするための HTML5 等 Web 標準のサポート

本稿冒頭の問題意識に立ち返りましょう。

“電子書籍の体験に欠けているものは何か”と問われれば、読みたいコンテンツが提供されているのかどうか、というハードルではありません。新刊書籍は徐々に電子版としても提供されていく流れにあります。
言葉を換えれば、“フローとしての電子書籍”は需要を満たす方向に歩みを始めています。
課題は“ストックとしての電子書籍”におけるソリューションです。読書家の視点で素直にこれを語るなら、手持ちの印刷書籍を含めていかに気持ちよくマネジメントできるかという方向です。
そのために、クラウド化された統合的な電子書架が求められるはずです。

その書架は、単に個人の蔵書管理のために止まらず、適切なアフィリエートの仕組みを付加できれば、特定テーマに強いブティック型書店に化けることも可能です。
また個々人の書架が適切な形でネットワーク化されれば、ソーシャルリーディングを加速するプラットフォームとなるかもしれません。
このまま電子書籍が垂直型サービスとして硬直化してしまう前に、どうにかして柔軟で付加価値の高い蔵書マネジメントの仕組みを形成し、それを個人へと提供しなければならないと考えます。
(藤村)

劣化するWebメディアの“ユーザー体験” デジタルメディアは印刷メディアに学ぶべきなのか?

収集のつかないくらい取り散らかった Web  メディアのデザインは、
ユーザーの集中を阻み、“メディア体験”を蝕む
このままでは、
印刷メディアを克服したとする Web メディアも、
読者に“ノー”と言われる時がやってくるかもしれない

Web(メディアの)ページは、あまりに多くユーザーへの接触点を盛り込んで取り散らかってしまい、読者はコンテンツに集中することができない。

こう語るのは、米国でブログ、ビデオなど多くのソーシャル型コンテンツをネットワークするメディア企業 SAY Media の CEO、Matt Sachez 氏です。
Ad Age DIGITAL 掲載記事「Take a Lesson from Print Media: Clean Up Web Layouts」(印刷媒体から学べ:Webページのレイアウトを片付けろ)で、氏は昨今のデジタルメディアが生み出す“体験”が最悪のものに陥っていると警鐘を鳴らします。
メディアのデジタル化は避けて通れない道筋ですが、氏が指摘するのはそのデジタルメディアが突き当たっているシリアスな課題と響きます。本稿では、氏の指摘をポイントに沿って整理し直してみます。

あまりにたくさんのメディアサイトが同じような欲求に駆られている。
ごたごたしたタイトルやストーリー。
アイコンや広告が見苦しく積み上げられている。
メディア事業がデジタル時代を生き延びるために、私たちは Web を片付ける必要がある。
より速く、より多くのアクセス等々を追い求める結果、エディトリアルデザインの美やコンテンツに配慮した広告体験といったものに対する無関心が生じているのだ。

このように Sanchez 氏は Web メディアの現状を指摘します。
当ブログ「Web 系ニュースサイトの行き詰まりを検証する」で指摘したように、経済的背景もあって Web メディアのページデザインに占める広告面積の増殖が課題になっています。
しかし、Sanchez 氏の論は、記事面における広告表示面積の多寡を問題にしているのではありません。
Web のページレイアウト自体が読者の焦点を散乱させてしまっているという構造的な要因についてなのです。

「無関心」は、Web メディア読者に対してどのような結果をもらたしているでしょうか?

初期のWired 誌が懐かしく思い出される。美しくデザインされたページが流麗にストーリーを運び、読者の理解を助け重要ななにかを感じさせるようなものだった。
それに比べ、現在のデジタル(メディアの)体験は、恐ろしくつまらない。

Web は(メディア体験を)後退させていると、いくつもの理由から言える。
増加するソーシャルメディアの共有ボタンが、数多くの広告表示枠が、ますますコンテンツを追い詰めている。
構造的に見て、Web ページは複雑になりすぎているのだ。
読者に、コンテンツや広告その他重要なことに集中させる代わりに、たくさんの投稿や共有機能などが盛られさまざまなアクションを求めようになっている。

最新の Web メディアに求められる要素に、“会話性”が挙げられることが多いのですが、氏が指摘するのはそのようなインタラクション(双方向の会話)機能を数多く埋めこもうとすればするほど、ユーザーにとってコンテンツや広告の閲覧に集中できないというのです。
コンテンツと広告以外の要素があまりに増えてしまった Web メディアの現状が問題だというわけです。

ならばそんな劣化したユーザー体験を改善するにはどうしたら良いでしょうか?
氏はひとつの仮説を、印刷メディアでの知見を学び、それを Web メディアの特色とをうまく共存させるべきと述べます。

どうやってこれを修復するのか? どうやれば、コンテンツと広告をバランスさせ、読者、コンテンツ提供者、広告主らのエコシステム高めるような、高品質なデジタル体験を創造できるだろうか?
私たちは、かつての印刷メディア時代が持っていた美しいエディトリアルデザイン、レイアウト、見やすい広告の手法を学び、Web  が有するリッチでインタラクティブな力と組み合わせる必要がある。
HTML5 をはじめとする新技術に対応したブラウザなどによって、より効果的な(文字)組版や写真、レイアウトは可能となっている。

また、旧来の Web メディアのトレンドに対して、それを改善していこうという勢力も台頭していると紹介します。

Gawker(米国の著名なゴシップ系 Web メディア)のデザイン変更——その当初は激烈に批判された——は、そのブログメディアのルーツを払い落し、新たなメディアを体現しようとする試みだった。それは成功した。ユニークビジター数は記録を更新したのだ。

http://jprim.com/my-gawker-redesign/

My Gawker Redesign « Joey Primiani の記事から。
左は 2011 年リニューアル後の Gawker。右がリニューアル前のデザイン via kwout

The Verge The Daily Beast も同様に力強いエディトリアルデザインを加速している。また、(ブログ由来の)垂直方向にコンテンツを積み上げていく方式に代わるレイアウトデザインを使い始めている。
老舗メディア、たとえば New York Times もデザイン重視を強めている。同紙もまた、取り散らかしたレイアウトを改め、また、時系列重視のデザインからオンラインエディトリアルデザインへ歩み始めている。

http://www.theverge.com/

デザイン面でも新風を吹き込む新進気鋭のブログメディア The Verge via kwout

ここに筆者(藤村)の意見を差し挟んでみたいと思います。
Sanchez 氏が例に挙げるような、デザイン面でのサイト再設計を試みたメディアはまだまだ少数にとどまっているようです(だからこそ、読みやすい、ストレートでシンプルなレイアウトは Web サイト間の差別化要素にもなりそうですが……)。
まして国内では、商業サイト、人気ブログメディアでも、個人的な印象としては“見づらい”サイトが隆盛を誇っているのが実情です。

しかし、メディアが自らユーザー体験向上をめざすイノベーションをリードしなければ、「メディアのデジタル化が開く根本的な変化」で触れたように、サードパーティが提供する、例えば Web ブラウザ Safari の「リーダー」機能、そして Readability や Instapaper 等が提供する“テキストスクレーパー”系アプリやサービスを通じて、ユーザー自らが Web メディア体験の“改善”へと動いてしまうと予測します。既にモバイル機器からの Web サイトアクセスが急伸している動向の背景には、そのような兆候が見え隠れしています。
そうなってしまっては、各メディアが丹精込めて作り込んだオリジナルなコンテンツや、広告などによる収益機会が損なわれかねません。

さて、Sanchez 氏のオピニオンは、現在の Web メディアはかつて高品質を誇った印刷メディアでの経験や成果に学ぶべきだという教訓で、実は終わっていないのです。

デジタルメディアは、他方で巨大なトレンド変化であるマルチスクリーン化(モバイルなど多種多様なメディア機器類)への対応を迫られています。氏が最終的に主張するのは、このようなスクリーンやロケーションの多様化に対応しなければならないデジタルメディアにとり、本質的な問題解決は“メディアは API のような存在になるべき”との刺激的なものです。残念ながらこの点について論じるには機会を改めなければなりません。
(藤村)

新聞社サイト有料化 本格的に離陸するのか?

日経新聞電子版の有料会員が20万人を突破した
朝日新聞、読売新聞も電子版サイトを有料化、
あるいは有料オプション付きビジネスを模索している
世界的な新聞電子版サイトの有料化動向は、本当にブレークスルーなのか?
デジタルメディア事業という視点で、注目点を探る

先ごろ、日経新聞が同社電子版有料会員数が20万人を突破したことを報じました(下図参照)。

この記事(社告)を基に、デジタルメディアの動向をウォッチしている者として、気になる点を読み解いていきましょう。
まず、「有料会員」そして「無料会員」。この二つの数値が累積数(すなわち、契約終了者・退会会員を含んでいるのか、否か)なのか、あるいは現時点の契約者なのかが気になります。
というのも、既に紙媒体を契約している読者にとり、電子版への敷居は(+1000円と)比較的低く(!?)、お試し的に登録してみるという一定の流動性が想像できるからです。結果として短期間で退会(「紙媒体だけでいい」などと判断)という行動態様も想像できます。残念ながらこの点についてのヒントは見つかりません。

また、135万人の電子版購読者総数をどうとらえるべきでしょうか? これをまだまだ“序の口”と見るべきか、あるいは、そろそろ拡大より有料会員への移行施策が重要なのか。
ヒントは、「日本経済新聞メディアデータ」にあります。ここで示される印刷版日経新聞の購読者数は約300万人。
電子版購読者総数との重複・非重複が気になるところですが、筆者(藤村)はまだまだ広大な非会員の裾野が残されているとは見ません。

本記事(社告)から得られる認識は、さらにあります。
記事は、同紙の有料化会員の規模が、世界を見渡しても「米ウォール・ストリート・ジャーナル電子版」(WSJ)、「米ニューヨーク・タイムズ」(NYT)、「英フィナンシャル・タイムズ電子版」(FT)に次ぐトップグループに属していると位置付けていることです。
ちなみに、筆者(藤村)が以前に取り上げた記事では、NYT 電子版有償購読者は32万人(無償購読者100万人)、FT 25万人(同400万人)としています(「デジタルメディア有償購読化に見逃せない3つの視点」)。
ここに日経電子版の数値を差し挟んでみましょう。

FT 250K(4M 6%)
NYT 320K(1M 32%)
日経 200K(1.4M 15%)
*「%」は有料/無料会員比率

英語圏域の人口を考えれば日経電子版の奮戦ぶりは評価されるべきかもしれません。また、有料/無料会員比率で NYT があまりにも飛び抜けていることはあるにせよ、日経は“なかなか”だと見てもいいでしょう。
さらに考えてみたいポイントがあります。
購読者数という純粋な規模に加えて、購読料(価格)という要素を加味してみたらどうでしょう?
手元の「The New York Times’ Delusional Digital Pricing Scheme」という記事に購読料の媒体比較チャートがあります。これを基に精査・追加を施したチャートが下図です。

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The New York Times’ Delusional Digital Pricing Scheme を訂正加筆した媒体購読料比較。
日経電子版は、4000円の電子版単独購読料を12倍した。為替レートは単純化してある

日経新聞を除くと、やはり高品質と伝統をテコに一般紙ながら強力な支持層に支えられた NYT がダントツの購読料(年換算ベース)で、読者規模の WSJ に競争を挑む図式です。
日経電子版をここに挿入するとあることが見えてきます。日経電子版は電子版のみの購読者が20万人であれば、NYT の購読料売上に肉薄するのです。
もちろん、事情はそう簡単ではありません。日経社告は「有料会員のうち紙の日経新聞とセットで購読する読者が10万人を超えており」と明示しています。つまり、20万人が月額4000円を支払っているのではなく、その半分が月額1000円の支払いに止まっていることは周知の通りです。

それにしても、こと“直接購読者数とその課金売上”に絞って比較すれば、日経電子版は社告が胸を張って述べるように世界中を見まわしても、確かにトップクラスであることに間違いはありません。
ただし、ことはこれで終わりません。その将来性が懸念されて久しい新聞業界。日経新聞は確かに世界トップクラス入りしているもののその将来は安泰でしょうか?
ポイントを絞って意見を述べます。
まず、有料購読者数の増加ペースを続けられるか? ということです。
ちなみに、NYT が本格的なペイウォール(有料制)を敷いたのが1年前。日経電子版はすでに2年。常識的にいって NYT の増加ペースに追いつくには困難が伴います。

もうひとつ。日経電子版の“値付け”が世界水準で言っても驚異的な高さであることを忘れるわけにはいきません。このマーケティング方針が示すものは、依然として日経電子版は印刷媒体購読を補完する(言い換えれば、電子版へと大移動が生じないようにする)姿勢を保持していることです。
むろん、事業の総合的な収支尻という観点あってのことでしょうから、印刷媒体購読を基幹とし続ける姿勢に安直な批判は無意味でしょう。そこでこの、印刷媒体=主、電子媒体=従の図式がいつまで維持されるのか、という関心に言葉を換えてみたいと思います。

ここで先に紹介した「デジタルメディア有償購読化に……」をもう一度、紹介しましょう。
そこでの注目の論点は次のようなものでした。

厳しさを増す新聞業界の中でも極めて強い競争力を有する2紙、すなわち The New York Times(以下NYT)と The Financial Times (以下 FT)がほぼ同時に印刷版の大幅な値上げに踏み切ったのである。NYT を例に取れば、デジタル版購読は、売店1部売りに比べると70%も、FT でも同様の比較で68%も安価となる。
これは、単純に物価上昇分の吸収というようなものではなく、明瞭に、印刷版からデジタル版へと読者にシフトを促す戦略的な決定とみなすことができる。

デジタル版が新聞メディアの“未来”(参照:「次の5年以内には…その時までには読者の多くがデジタル版を読んでいるはずだ」)だとすれば、いずれ印刷媒体の購読者を強制的にも電子版へと誘導し、それを基盤に企業全体の経営を再設計しなければならなくなる時がきます。
そのために世界的に見て飛び抜けて高い購読料体系を、いつどうチューニングするのか、注視していきたいと思います。(藤村)

デジタル“再出版”  見えてきた方程式

21世紀は既に始まって久しいのですが、いまも多く私たちが目にしているメディアは、前世紀からの歴史を背負った出版事業に範をとった“デジタル”メディアです。
過去の出版事業に引きずられず、21世紀起点の出版(メディア)ビジネスを考えたい——。
大ざっぱながら筆者の当面するテーマです。
Blog on Digital Media ではそんな視点からの投稿を続けています。

さて、デジタルメディアを考える際に重要なポイントは、コンテンツ(情報の実体)とメディア(コンテンツを容れる形式)の分離が進んでいることです。
形式としてのメディアから自由になる(形式が消滅するわけではないのですが……)ことでコンテンツは容器の制約を離れ、粒子のように高速に運動し、また多種多彩な“すき間”へと浸透します。人々はあたかも空気のようにそれに触れ、半ば無意識に摂取することになります。
従来のように、雑誌や書籍という形式への縛り(バンドル状態)が強すぎれば、コンテンツは引用や口コミといった人々の会話に乗りにくいままでしょう。また、コンテンツを新たな形式に包み直すことで得られるかもしれない二次的な利用法への可能性も狭いままのはずです。

先の「『未来の雑誌』 その実現シナリオを検討する」では、雑誌という形式にバンドルされた各々の記事を解き放ち、1本単位で消費したら……というビジネスモデルを紹介しました。
本稿では、その逆の方向性を例示します。すなわち、バラバラの記事をベストセレクトして、それらを魅力的にパッケージし直し従来では得られなかった価値を生むという方向性です。言い換えれば、パッケージ(形式)の側に価値を積極的に見ていこうという試みです。
紹介するのは、米大手デジタルメディア企業 AOL がリリースした iPad 向けアプリ Distro です。Poynter. に掲載された記事「AOL websites give best stories a second life in weekly iPad magazines(AOL は Web サイトの秀逸な記事に、週刊 iPad マガジンで第二の生を与える)」を通じてこの試みを紹介していきましょう。

著名なテック系ブログメディアに Engadget(日本版はEngadget Japanese)があります。
同メディアは「ブログメディア」と言いながら、毎日40本以上の記事が流れ落ちるようにポストされています。その多くは短信ニュース系記事ですが、日に数本、深めの分析やインタビューなど読み応えある“目玉系”の記事がポストされます。
これら深めの記事だけがピックアップされ、週刊で更新される Distro にて新たな生命を吹き込まれるのです。
記事では、同社モバイル担当幹部の David Temkin 氏が次のように語ります。

Distro 読者は、1回 Dsitro を起動すると平均約10分間を費やす。ところが、Web の Engadget サイトを訪れる読者では1回当たり1分に満たない。
Distro
は iTunes Store で極めて高いユーザー評価を得ている。
それは Wired のような、活発で人気のある雑誌と同じクラスの読者を引きつけている。

実際の数字を明らかにするわけにはいかないが、Distro の読者数を知れば、これがもしリアルな印刷雑誌だとしたら……と、驚くはずだ。

確かに1セッション単位の滞在時間が10分を超えるとなると、その読者の行動は Web メディア的ではありません。

Temkin 氏、そして AOL はこの注目すべき“再出版”モデルへの反応に意を強くして事業拡大に乗り出しています。
次なる題材は、これまた著名で同社傘下の Huffington Post で、アプリ名は Huffington. です。

われわれは、Engadget と同様の特性を持ったサイトを運用しており、たくさんの記事を利用して、リーンバックスタイルの読書や美しい紙面を生み出すことができるのだ。

ところで、もう少し具体的に Distro の特性を確認していきましょう。
ブログメディアへの投稿コンテンツの“再出版(republish)”という用語を Temkin 氏は用いていますが、大事な点は、記事(本文)以外の要素は Distro 専用のしつらえになっていることです。
アプリ用にオリジナルのインフォグラフィックや編集長コラムを追加していまる。記事レイアウトの自動化もほどこさず、デザインスタッフが関与していると言います。Web メディア版では SEO を意識したキーワードを用いていたりしているのも、洒落た軽妙な語句に置き換えたりしています。ほとんど作り替えです。
下図をご覧下さい。“紙面”のイメージやデザイン品質などが見てとれるでしょう。シンプルで、かつ、雑誌風のデザイン。時間をかけくつろいで読書すべきスタイルを目指していることが伝わります。

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Distro の画面
① ニューススタンド形式で提供される Distro
② 新たに書き起こされたインフォグラフィックのページ ③ Distro 用の編集長コラム
④ デザインされ直して、雑誌風になった記事ページ

Engadget 同様、活気溢れるブログメディアで有名な TechCrunch で以前責任あるポストにあったブロガー M.G. Siegler 氏は Web メディアについてこう語っています。

Web コンテンツの99%は○ソだ。写真も含めて素敵なコンテンツがそこにはある。だが、ほとんどが広告過多なひどいレイアウトに挟み込まれている。TechCrunch も同様だ。
最高のコンテンツをエレガントなパッケージに包んで読みたい。美しい雑誌のように。

記事は Siegler 氏のコメントが、Distro のコンセプトを言い当てているとします。

さて、大事なことは“これで儲かるのか?”です。あるいは、これを売るためにどうするか? という問いでもあるでしょう。
Temkin 氏にとってひとつの発見は、“これ(Distro)は、Web サイトというより印刷媒体だ”というものです。
AOL のビジネス文化は、従来からオンライン広告を売買する習性を持った人間たちによって形成されてきました。印刷物を売る文化とは異なるのです。

われわれにはやるべき宿題がある。良いことに、われわれは読者層を築いた。そして高品位なコンテンツを有している。得られた指標は立派だ。まずいことは、(この商品が)われわれがこれまで売ってきたものとはまったく似ていないことだ。
Distro、そして創刊される Huffington.も無料だ。
だが、読者はこの商品が本当に好きなので、それにカネを払ってもいいと感じていると、私は考えている。
これは有料の商品たり得るか? イエスだ。

AOL のような企業が、そして、DistroHuffington. が販売上の課題に突き当たっていることは想像がつきます。オンライン広告で勝負してきたビジネス文化が、急に雑誌を1冊1冊売るビジネスへと転換するにはさまざまな困難が待ち構えているはずなのです。
しかし、この直面する課題も含めて、コンテンツが形式の縛りから解き放たれた時代にコンテンツがどうすれば新たな活力を生みだすのか大きな可能性を見せてくれていると筆者(藤村)は受け止めます。

ところで、最後にビジネス文化ではなく編集文化上の転換にも言及しなければなりません。
鋭敏な読者の中には、どうして Engadget というネーミングを引き継がずに、わざわざ知られていない Distro という新ブランドを創造したのかいぶかしく思った方もいるはずです。
Huffington. はやや折衷的で Huffington Post ブランドを引き継ぎました。
この周辺には、いったんブランドという形式的な価値を生み出すと、そのブランド性をアンバンドル化しづらいという心理的な障壁が内在しているはずなのです。このようなギャップもまた、コンテンツ“再出版”という理路を歩む際の課題として克服しなければならないはずです。
(藤村)

「未来の雑誌」 その実現シナリオを検討する

私たちの眼前には、すでに多くの電子雑誌が登場している。
しかし、“未来の雑誌”はそのようなものではない。
それは プラットフォームであり、
従来の雑誌から記事のアンバンドル化を一挙に推し進め、
お勧めリストから、購読、そして閲読へといたる一貫した体験を提供するアプリとなる。

http://pandodaily.com/2012/03/26/the-future-of-magazines-should-look-a-lot-like-spotify/

本稿では、“雑誌の未来形”を大胆にデッサンした米ブロガーのオピニオンを紹介します。ブログ Pando Daily 掲載、Hamish McKenzie 氏執筆「The Future of Magazines Should Look a Lot Like Spotify」です。
McKenzie 氏の大胆な素描は雑誌の未来形をめぐって随所にわたりますが、基本となるコンセプトを取り出すとこうです。

  • 雑誌ごとに異なるアプリをインストールするのは不合理である
  • 読みたい記事・読みたくない記事その他をバンドル(不即不離)した提供は旧弊の踏襲である
  • お勧めから始まり、購読購買、ソーシャル化された閲読に至るプロセスを統合すべきである

では、論旨を整理しながら、McKenzie 氏の主張するところに耳を傾けていきましょう。

タブレットは、もしかすると雑誌の救世主である。しかし、購読者の減少に直面しながら、雑誌は自身を救うためにほんのわずかなことしかしていないのだ。

タブレットで雑誌を読む行為は、時代錯誤のページめくり機能や、コンビニのスタンド売りのような(品のない)デザインの模倣であったりと、紙の雑誌の悪しき閲読体験を引き写した行為のようだ。
さらに悪いのは販売流通の仕組みだ。
Apple の Newsstand はまだ良い。価格もまあまあ。フォルダもひとつに整理される。だが、それで十分というわけではない。

ここから氏は、電子雑誌の販売と(コンテンツ)流通の旧弊に切り込みます。
ひとつは、流通です。雑誌が多様な記事をバンドル(不即不離な状態)化して販売するモデルであること。
Web の世界では検索エンジンの力を借りて、読みたい・知りたい記事へ直行する仕組みが整備され、記事(コンテンツ)単位の消費モデルが形成されています。
また、iTunes に象徴される楽曲のばら売りも常識となりました。雑誌がいまだにバンドル形式に固執することを氏は批判します。流通におけるアンバンドル化の趨勢については以前にも論じたところです(「メディアとコンテンツの“アンバンドル化”」、「コンテンツの『断片供給』と『小口課金』を考える」)。
もうひとつ、現在の電子雑誌の流通の問題は、雑誌コンテンツとアプリがバンドル化されており、一つひとつインストールしていくと膨大な容量が必要となることでしょう。

このような非合理に対して氏が回答として提案するのが、有料動画配信サービス Spotify(下図)に範を得たモデルです。
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Spotify サービスのラインアップ

日本では提供されていないサービスなので、別のサービスを例にとると、iTunes Store と iPod(アプリ)が統合されているようなものと理解すれば良いでしょうか。
McKenzie 氏がイメージするのは、iTunes がアルバムとのバンドル状態を緩めて楽曲単品での購入に道を開いたように、雑誌もその記事をアンバンドル化しバラバラに購読できるようにするというものです。氏の構想ではアプリを起動すると、記事単位のリストが表示され読者は読みたいものを選んでその場で iPod のように閲読を開始するのです。
仮にこのアプリを「Magazine Reader」と呼ぶことにしましょう。
Magazine Reader は、記事のマーケットプレイス(ストア)機能を持ち、そこから選んだ記事を即座に閲読できます。
ストアは、実在の書店や Amazon などのEC書店の体験を上回るべく下記のような情報や機能を提供すべきとします。

  • お気に入り雑誌ごとに最新記事リストを表示
  • 読者の関心事項に即した記事、ソーシャルメディアで話題となっている記事リストを表示
  • リストの各記事には、サムネール画像・筆者名・タイトル・日付・雑誌名・読者へのリコメンデーション・レベルなどを表示
  • 各記事の折り畳まれた情報を広げれば、記事の先頭段落や記事のデザインなどを確認できる
  • 個々の記事を含んだ雑誌全体を購入をすることもできる

また、ソーシャルリーディングの観点から次のような機能も用意します。

  • Magazine Reader のユーザーは、それぞれの(Facebook タイムラインのような)プロフィールページを持つ。そこには最近読んだ記事や、お勧め記事などを表示する
  • また、好みの雑誌や筆者、関心テーマ、(Twitter や Facebook のように)フォローしているユーザーリストも表示する

このような情報の公開により、ユーザーはソーシャルグラフを通じて自分に適した記事を見つけやすくなるというのです。
もちろん、読者のみならず、ライター(記事執筆者)や発行者(雑誌社)も、それぞれのページを運用し、ソーシャルな関係をテコに読者を増やし購読を広げていくことになります。

既に述べたことではありますが、重要なことは一貫した閲読体験の構築です。
読みたい記事が的確にお勧めされ、気軽に購入でき、その場で読み始めることができる。また、複数デバイス間でも同期が働き、場所や時間を問わず読書をシームレスに進められることが基本です。
閲読のインターフェイスは美しく、記事を読みながら辞書を引いたり、記憶したい箇所をマークアップできます。
クラウド型の閲読スタイルの利点で、筆者が新たな事実などを発見して記事を改訂すればそれが即座に反映したりと、ダイナミックな閲読体験を期待できます。
さらに、そんな閲読体験をソーシャルメディアへと発信することで、より良いコンテンツを勧め合う場が形成されていきます。
このような網の目が張り巡らされることで、記事単位の流通と売買が読者、執筆者、発行人の間で成立するようになるというのです。

さらに重要なのはビジネスモデルでしょう。
McKenzie 氏が範とするのは、iTunes のような楽曲単位の課金ではなく、Spotify をはじめとする有料動画配信サービスが採用している月額固定料金制です。

主要な収入は Netflix のような購読料モデルとなる。これは月額10ドルですべての記事から読みたいものをいくらでも読めるというものだ。
この収入を、記事の発行者とプラットフォーム(Magazine Reader 提供者)で分け合うことになる。
もちろん、発行者(出版社)は抵抗を示すだろう。彼らの元々のビジネスモデルはバンドル型であり、アンバンドル(=ばら売り)ではなかったから。
しかし、コンテンツのアンバンドル化は避けられない。
うまく収入を分配できれば、読者にも筆者にも、そして発行者にとっても良い収入モデルとなるはずだ。

月額固定料金で読み放題という、米国でもビデオストリーム系サービス(以前は借り放題のCDレンタル)でしか成立していないモデルが、日本市場にも妥当するかは、まだ謎です。しかしながら、これも「WIRED シングル・ストーリーズ」に触れて論じたように、読み応えのある適切なボリュームの記事を売買する市場は、読者側の需要はもちろん、記事執筆者・フリージャーナリストらの糧道確保という観点でも意義あるものでしょう。

McKenzie 氏は、音楽や映像系のコンテンツ流通が先行して示したような多様性が、雑誌市場にも開けてくることに期待を示します。
音楽や映像市場で実現できたことが、雑誌市場でできないことはないと筆者も感じます。
アンバンドル化に踏み切るには、印刷雑誌への広告掲載需要が低迷しているいまが、その格好の機会なのかもしれません。
(藤村)

リーンバック2.0 進む“読書スタイル革命”

iPad の製品発表を覚えているかな? だれも iPad のスペックや性能について語ってはいなかった。ソファに寄りかかっている図を記憶しているだけだ。それこそ Steve Jobs が傑出した点だった。
「iPad は大きなスマートフォンなのか、あるいは小さなノート PCなのか」。
人々が怪訝に思ったとき、Jobs はそんなことには答えなかった。「そいつは、くつろぐということだ」とだけ言ったんだよ(「The Economist: ‘Lean-back 2.0 is not the end of innovation in the media industry’」)。

こう熱っぽく語るのは、1843 年創業という老舗、米英で著名な週刊誌 The Economist の社主 Andrew Rashbass 氏です。
Economist 誌を中心とする氏の出版グループは好業績が伝えられています。
好調の理由は、まず広告収入、そして雑誌購読それぞれが順調なこと。なによりも明るい材料はデジタル版(Web、スマートフォン・タブレット版)が好評なのです。
同社では、印刷雑誌および書籍に加え、Economist.com をはじめとする一部ペイウォール型 Web サイトを運用し、さらに、iPhone・iPad・Andoroid、そして Kindle 向けアプリケーションを投入。
また、Facebook ページでは累計 100 万人がファン登録したとの発表もありました。
この結果、同社の印刷およびデジタル版を合わせた購読者が全世界で 150 万人(ABC 公査結果)となり、かつ、デジタル版購読者が印刷版購読者を上回るという、将来に明るい展望を持つメディアとしてリーダー的地位についているのです。

本稿では、将来への布石を着実に成功させつつある Economist 誌の戦略に注目します。

Rashbass 氏を筆頭にした Economist が打ち出すデジタルメディア戦略、その中核コンセプトは「リーンバック 2.0」というものです。これを冠したコーナーを Web サイトに設けるなど、なかなかの本気度ぶりが伝わってきます。
では、“リーンバック”とは何でしょうか? 「リーン(Lean)」は傾斜すること。つまり、リーンバックはうしろに傾くことを意味します。
Rashbass 氏が冒頭で、故 Steve Jobs 氏に言及した箇所に戻りましょう。
写真を見て下さい。ソファなどの背もたれに寄りかかりくつろいだ状態、これがリーンバックです。
対義語は“リーンフォワード”。前に傾く。すなわち、机などに身を乗り出しなにかに集中しているアクティブな状態を指します。
このリーンバック対リーンフォワードに、デジタル時代のメディアの行方を分かつポイントがあるというのが、同氏の主張なのです。

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記事「The rebirth of reading」より

Rashbass 氏曰く、もともと Economist など新聞(雑誌)の読書スタイルは、ソファで足を組んだりと、くつろぎつつ記事を精読(氏は“耽読”とまで形容します)するというものでした。
氏にとり、Economist 読者の知的読書スタイルはリーンバックであるとの強い確信があったのです。その認識の下でオンライン(Web)版を開設したところ、自分たちは大いに間違ったと率直に述べます。

オンライン版を通じて読者がどのように行動しているのかを調べた。年齢や地理的な条件に関係なく、世界で起きている様々な事象への知的な好奇心に充ち満ちたリーンバック読書スタイルは、Web にはまったく移行してこなかった。

しかし、そこには印刷版にない事業機会があったのだと言います。そこで、 Economist 誌とEconomist.com は別ものとして投資を行うことにしたのでした。

調査によれば、読者はオンライン版では脈絡なく散漫にコンテンツをつまみ食いしては、それを共有し語り合ったりしているようだった。
そのような次第で、われわれはオンライン版を、読者が単に訪れてきては情報をおとなしく受けとるだけでなく、読者間やわれわれとの間に結びつきをつくり、コミュニティの場とすべく開発した。
この構想は自分たちのWebサイトに止まらず、Web を横断し Facebook や Google+へと及ぶ広範なものとなった。

つまり、印刷版の読者のスタイルはリーンバックであり、他方オンライン版ではリーンフォワードであることを“発見”し、それぞれのスタイルに合ったメディアのあり方を強化してきたのでした。これらは、対照的な読書(読者)スタイルをなしており相互に補完的役割を果たしていると言うのです。

しかし、まず 2007 年に Amazon Kindle が、そして 10 年に iPad が世に送り出されて、印刷とオンラインというメディアをめぐる構図が変わった とRashbass 氏は述べます。「リーンバックへの回帰、リーンバック 2.0だ」。

iPad では彼らは Economist を2時間もかけて読む。これは印刷版を読む際の行動とまったく同じであり、オンライン版での読書スタイルとまったく異なっている。ソーシャルへの共有はしない。リーンバックして長文を読みふけるのだ。

これがリーンバック2.0というコンセプトが打ち出されるに至った文脈です。

現在、150万人にのぼる購読者がいる。100万人に到達するのに1843年から2004年までかかった。
次の5年以内には200万人に到達したい。その時までには読者の多くがデジタル版を読んでいるはずだ。そのためには自分たちの事業運営の多くを見直す必要がある。リーンフォワードなWebスタイルも含めて。

ここに至って筆者(藤村)を含めて読者は、ひとつの疑問に突き当たります。
タブレットの読書スタイルがリーンバック 2.0 だとして、それはかつての印刷版の読書スタイルへの単なる回帰を意味するのか? ということです。
Rashbass 氏のオピニオンを載せた記事をいくつか参照しましたが、リーンバック 1.0 と 2.0 の明確な差異を述べてはいません。
ただし、それに関わるポイントに触れた記事(「The rebirth of reading」)があります。併せて紹介しておきましょう。

デジタル(の読書スタイル)は、印刷版とのゼロサムゲームではない。デジタル版は新たな読書機会をもたらすものだ。
読者が印刷版の購読を中止する理由で一般的なものは「時間がない」というものだ。
Economist の iPad 版、そしてスマートフォン版には音声版のフルセットが含まれている。運転中だろうが、ジョギングしていようが、庭に出ていようがいつでも読んでもらえるのだ。

オンライン版(Web版)が発見したものは、おとなしく記事を精読するリーンバックと対照的なアクティブな読書スタイル(リーンフォワード)でした。それはデスクトップやノート型PCの機能をフルに駆使することと結びついていました。
最後に現れたリーンバック 2.0 は記事を長時間精読する読書スタイルへと回帰していますが、スマートフォンやタブレットが持つ柔軟性と結びつくことで、忙しい時代のビジネスパーソンに新たな精読機会、新たな読書スタイルをもたらす可能性を感じさせます。
リーンバックとリーンフォワードを組み合わせ、そして、さらにこれまで精読型読書が不可能であった時間を読書可能な時間へと再創造する革命に、先端を突き進むメディアビジネスは取り組んでいるのです。
(藤村)

コンテンツのたどる道のりを構想する

良きコンテンツとの出会いはどのようにして生み出されるのでしょうか?
また、コンテンツは読者との出会いを経てどのように歩んでいくのでしょうか?
本稿では、読者が情報(コンテンツ)とどう出会い、そして、それをどう活用していくのかを考えます。
情報(コンテンツ)を提供するメディアビジネスにとり、そのプロセス再定義すべき時期にさしかかっています。

本稿では、筆者(藤村)が日ごろ実践している、情報の収集 — 整理 — 発信 — 保管のプロセスを紹介し、そこにまつわる問題意識の提示を試みるものです。
これは本ブログで論じた「読書体験の拡張は可能か?——いくつかの電子書籍/雑誌論をめぐる断片」および「読書体験を拡張する——ごく私的な試論として」の続編に当たるものです。

さて、どうしてこのような情報の処理プロセスを論じる必要があるのでしょうか?
ひとつには、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、日々接している情報(コンテンツ)はますます膨大になっています。それを受け止め(あるいは、フィルターして)処理する仕組みやスキルは、個人に委ねられており、なんらかの支援が必要になっています。ここにビジネス機会を感じ取るからです。

もう一つには、筆者らが携わるデジタルメディア事業をめぐっても、情報(コンテンツ)をどう供給するかまでの議論はあっても、それが読者にとってどのように処理されるべきなのかに踏み込んだ議論が見当たりません。
これもまた、ビジネス機会と思わずにはいられないからです。

ビジネス機会をいかに生かすかについて、後ほど触れることにします。

さて、筆者の場合、多くの情報(コンテンツ)への設定はもちろん、デジタルによる入力が中心です。書籍や雑誌、あるいは自分人のメモなど、アナログな入力も含まれます。
筆者にとってのデジタルを主とする入力源は、以下のとおりです。

  1. Web ブラウザ……もちろん Web ブラウザの役割は、随時検索をしたりとなくなりません。Web ブラウザは依然として重要な情報(コンテンツ)の入力源です。筆者は Chrome を多用します。
  2. RSS リーダー……多くのメディアなど有用な情報源をカテゴリー別のなどに整理登録しておき、その最新情報を総覧できるツール。これひとつで多くの商業メディアや無数のブログなどをいちいち Web ブラウザで見て歩く必要がなくなります。feedlyReeder などをお気に入りにしています。
  3. Twitter/Facebook……ソーシャルメディアは貴重な情報源です。信頼・尊敬する知人らがもたらすニュースや専門情報などには啓発されることが多く、適度な注意を払うようにしています。
  4. 書籍や雑誌、あるいは印刷配布物……説明の必要はないでしょう。個人的には書籍の読書がデジタルへと移行するにはまだまだ時間がかかるものと見ています。

上記に加えてメルマガなどを運んでくる電子メールも情報源と言えますが、ここでは省きます。

ところで、このように多くの入力源から得たひらめきや、知識、問題意識などをどう処理すべきでしょうか?
筆者のケースでは、ひらめきや自分の問題意識に刺さったものは、なるべくソーシャルメディア上の知人、同好の士へシェア(おすそ分け)するようにつとめています。
Twitter の「ツィート」、Facebook の「近況アップデート」などです。
このようなシェアは、情報の鮮度や品質(あやしげでないもの)を重視し出典やポイントになる箇所とともに伝達します。逆にあまり自分の意見などで料理しすぎないように意識しています。
もちろん、シェアで終わってしまうケースもありますが、実は問題意識に深く刺さったものはそれを整理保管し、そのいくつかは、ブログに仕立てたり企画書や提案書に生かすようにしているのです。
そうすると、情報(コンテンツ)処理のフローは、多種の入力源から始まり、一部はいくつかのソーシャルメディアへの出力へと向かい、さらには以後の活用を意識した保管庫(への出力)へと向かっていくこととなります。
これまでは、長く、このような入力 — 各種出力 — 整理保管に相当するプロセスを、個々に“便利”なソフトウェアや Web サービスを利用していたのですが、目にする情報量が増え続け、かつ、出力先が増えたりと、効率化抜きではやりきれなくなってきました。

情報(コンテンツ)処理をフロー化する

そこで、ここ1年は以下に説明するような“体系”に即して、情報(コンテンツ)処理を励行するようになりました。下図をご覧ください。
各種の入力源を通して“気になる情報”“これは使いたい資料”“知人らが喜びそうな耳より情報”などが飛び込んできます。
それをその場で熟読し、ソーシャルメディアへシェア、さらにはブログも書き始める……というのは現実的ではありません。
ニュースなど情報に接している時間=情報発信(表現活動)の時間とは言えないからです。

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価値ある情報との出会いは、まず“後で読む”でクリップ

そこで、活用しているのが、“後で読む”系サービスの Instapaper です。同種のサービスやソフトは多種ありますが、筆者は Instapaper を気に入っています。
先ほど述べたような“これは!”という情報を、RSSリーダー、Webブラウザ、ソーシャルメディア上で見つけた場合、それを Instapaper へとクリッピング(簡略に記録しておく)します。多くのツール類が Instapaper へのクリッピング用ボタンを備えており、操作は1アクションですみます。
このように、入力から出力、保管へと進むプロセスの間に、“後で読む”系の層(レイヤー)を挟むようにしているのです。

※ 残念ながら、書物等にはこの便利な操作が適用できませんから、筆者の場合は遠慮なく印刷物に書き込みやマークなどを付します。そしてそれがまとまったところで、書籍や雑誌の記事内容を短く引用してソーシャルメディアに出力してくれるサービス Inbook.jp に投稿しています。これでソーシャルメディアへの出力と自分のための整理保管の両方の目的を果たします。

クリップした情報(コンテンツ)から“シェア”

Instapaper は後で丁寧に読み返したいというニーズに対応した記録用ツールですが、加えて重要な二つの機能を備えています。
ひとつは、リーダー(閲覧)機能。Web ブラウザと異なり、読者がニュースなどのコンテンツを読む際に不要な要素を取り払い記事を非常に読みやすいように整形表示してくれます。

もうひとつは、多様なシェア機能です。Facebook や Twitter、そして後で触れる Evernote など多種多様なクラウド系サービスと連携してくれます。
そこで、いったん溜め込んだ(クリップした)情報(コンテンツ)を、リーダー機能を使って読み返し、その中から重要と見定めた情報を選択し、今度は Instapaper のシェア機能からソーシャルメディアに向けて出力します。
このような機能を、Instapaper はデスクトップPCでも、スマートフォンでも、そしてタブレット、Amazon Kindle など多様な機器上で実現してくれることも重要なポイントなのです。

再利用に向け、整理保管へ

ソーシャルメディアへシェアして、フローを終了させてしまっては自分の中に残る問題意識は希薄なままです。
そこで、筆者の場合はさらにシェアした情報(コンテンツ)などを整理分類などして保管し、多少の熟成期間を経てブログへと再利用するようにしています。
ソーシャルメディアに向けて出力する情報は、15〜20本/日程度。一方、ブログは2本/週に過ぎません。
結果としては、多くの情報を再利用しないままとなってしまいます。

入力源の多くの情報(コンテンツ)> ソーシャルメディアへ出力する情報群 > 問題意識を論じたブログ

という数量的な不等号関係は避けられません。利用/非利用も含めて、情報の最後の整理保管庫に Evernote を活用しています。

Instapaper は比較的気軽なクリッピング手法で、基本はリンクを保管するものです。そこで、ソーシャルメディアへの出力後は、重要なものは Evernote へ整理保管しその他は Instapaper 上から削除してしまいます。言わば、仮保管庫で鮮度が高い間の処理にその利用用途を限定します。
Evernote はリンクではなくコンテンツ本体を複製保管するため、永続的な保管用途に耐えます。ノートの分類やタグづけなどを施し無制限に保存しておく使い方が適していると見ます。
ただし、人によっては Instapaper 層をすべて Evernote で置き換える利用方法も可能でしょう。Evernote には“後で読む”的機能はもちろん、Facebook と Twitter へとシェアする機能も備わっているからです。

さて、筆者の情報(コンテンツ)の処理プロセスをフロー化する手法を説明してきました。
こう整理してみて改めて課題と考えるのは、情報(コンテンツ)との出会いをかなり広めにとるのを余儀なくされていることです。
メディアの『パーソナライズ』を改めて考える」で述べたように、情報(コンテンツ)との出会いを広げるだけではなく絞る手法もなければ、上述してきたフローは早晩行き詰まってしまうことでしょう。

ところで、このような多少凝ったフロー化を組み立てるようなアプローチが、これ以上多くの人に習慣化されるとは、実は筆者自身も考えていません。
最近、読んだ奥村倫弘著『ヤフー・トピックスの作り方』では、非常に多くの読者は私が上述したようなツールやサービスを自ら駆使してニュースと接触するような行動は好まないことを示しています。

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奥村倫弘著『ヤフー・トピックスの作り方』光文社サイトより)

ヤフー・ニュースの記事検索サービスは、自分が気になるキーワードを登録して、いつでも検索結果を見られるようにしておくことができました。この仕組みは、かれこれ10年間くらい続いたのですが、利用者がほとんどいないために機能提供を終了しました。

RSS リーダーの機能をヤフー・ニュースのトップページに設置したこともあります。……設定さえしてしまえば、ヤフー・ニュースが記事配信を受けていない朝日新聞や日本経済新聞の記事まで読めてしまうという、ちょっと画期的な仕組みだったのですが、こちらもまったく利用者が増加する見込みが立たずにサービスを終了しました。

どういうわけかヤフー・ニュースでは、読者自身がテーマを設定して自分の興味あるニュースを引き出すというセルフサービスは、うまく機能してこなかったのでした。

「ヤフー・ニュース」の経験で理解できることは、多くの読者はいくつものツールやサービスを自覚的に探求してまで、情報(コンテンツ)への接点を整備しようとは思わないということです。
言い換えれば、自覚的な手間を積み重ねることはおっくうでも、このようなフローが無意識に、自然に実現できることには需要があるとも思えます。
自らの情報(コンテンツ)接点は必ず記録(ログ)化されていて、思い出したときにそれをすぐさま取り出した上で活用できる——という仕掛けには隠された鉱脈があるとの仮説を持ちます。

従来、メディアビジネス(たとえば、出版社ら)は、このような情報処理プロセス全体にわたるような提案を読者に向けて行うことはありませんでした。
そこで、読者らは出版社からではなく、別のサービス提供者からこのような処理プロセスをフロー化していくソリューションを受け取ることになっているのではないか。
生み出された情報(コンテンツ)が生み出され、読者へと渡り、そしてそれがどのように消費、再利用されていくのか、コンテンツがたどる旅路の全体像を見通す構想が求められているのです。
(藤村)

それでもHTML5 Webアプリを選択する理由とは?

ネイティブ(専用)アプリを開発すべきか。
HTML5 による Web アプリを選択すべきか。
あるいは、高いユーザー体験の提供をめざすのか。
それよりは、開発負荷低減が優先するのか——。
モバイル市場の急拡大を前に、メディア企業が直面する難題。
本稿では、アプリ開発の手法をめぐる課題を整理しながら“第三の道”も提唱します。

「現在(2011年)全世界で利用されている携帯端末の中でスマートフォンが占める割合はわずか 12% ですが、全世界の携帯端末のトラフィックの 82% 以上がスマートフォンで生成」されているとの調査があります。
いまだ「12%」程度でしかないモバイルトラフィックは、すでに「2000 年の全世界のインターネット全体の 8 倍」にも達しているのです。
また、すでに昨年、PCの出荷台数がモバイル機器全般に追いつかれ、2013年にはタブレット単独市場にも追いつかれるとの観測もあり、モバイル関連は驚くべき成長性を見せています。

これに対するメディア企業、コンテンツ提供者にとっての“悩み”どころは、この変化と成長が急な分野に対して、どのように適合していくかという戦略判断でしょう。
Apple がコントロールしモバイル市場全体をリードしている iOS、Google がリードし多種多様なプレーヤーが参画する Android、そして今後の成長に期待を持たせる Windows Phone など、コンテンツを投入すべき市場の選択は、OS、機器、シェアなど予断を許さない面も多く、将来の見定めは混沌としています。

さて、ここに現れたのが HTML5 技術を基盤に用いたWebアプリ開発の流れです。HTML5 を表示・実行できる Web ブラウザがあれば、どの OS やハードウェア上であっても、基本的に稼働することが期待できるというもので、市場の選択幅を一挙に拡大してくれます。
「ネイティブアプリ(各OS専用に開発されたアプリ)」でいくのか、あるいは、「(汎用 Web 技術を用いた)HTML5 アプリ」でいくべきかについては、すでに「ネイティブアプリ vs. HTML5アプリ 意思決定のための5つのポイント」で整理したところです。
本稿では上記「ネイティブアプリ vs.……」の対比、特に「ユーザビリティ向上」と「開発負荷抑制」という二律背反的に語られやすい点に焦点を当て新たな論点を提供します。

まず、ご紹介するのは「HTML5 trumps native iPad apps for some publishers」(ある種の出版社にとり、HTML5 は iPad 専用メディアに勝っている)という記事です。
記事が紹介しているのは、タブレット機器市場を専門的に扱うメディア TabTimes です。自らタブレット市場に適合するため、iPad 専用のネイティブ版メディア投入を企画し、結局 HTML5 Webアプリでリリースしました。その経緯を記事は紹介しています。

TabTimes HTML5 Web App

iPad で表示したHTML5 ベースの TabTimes

昨秋公開されたこのメディアは、ネイティブアプリとして計画された。しかし、インフラがサポートすべく複雑な要因を認識した結果、戦略が変更されたのだという。「各種プラットフォーム別にコンテンツを供給していく CSM を運用するのは大仕事だ」と George Jones 編集長は言う。
「Web コンテンツを HTML5 Webアプリに用いるというソリューションが効率の点で良さそうだと思った。(そこで)カナダの開発会社 Pressly と組み、4週間でアプリを世に出せた」。

伝わってくるポイントは、ひとつはコンテンツの投入先を複数のプラットフォームとしたい企業意思、次に、そのような複雑な仕組みを CMS など既存インフラに持ち込むことを避けたかったということのようです。つまり、アプリごとにコンテンツを作り分けるのではなく、極力ひとつのWeb(HTML)コンテンツを複数のプラットフォームで利用したかったということです。筆者(藤村)はこの箇所にやや異論を抱きますが、記事の記述に従えばそのように理解できます。

ところで、記事はもうひとつの論点を持ち込みます。ユーザービリティ(ユーザーの操作感、あるいはユーザー体験全体)という視点です。
記事は、ユーザビリティの大家ヤコブ・ニールセン博士のコメントを紹介するのですが、これはすでに邦訳記事(ブログ U-Siteモバイルサイト vs. アプリ: 来るべき戦略の転換」)があります。重要な視点を持った論であるため、それをあらかじめ紹介しましょう。

現時点のモバイル戦略: アプリに勝るものなし

これを書いている時点では迷う余地はない。つまり、予算があるなら、モバイルアプリを出そう。我々の実施したモバイル機器を対象にしたユーザビリティ調査で、アプリのほうがモバイルサイトよりユーザーのパフォーマンスが良いことが明らかだからである。……

今後のモバイル戦略: サイトに勝るものなし

将来的にはアプリ対モバイルサイトの費用対効果のトレードオフは変わっていくだろう。
……
モバイルアプリのコストは上がるだろう。なぜならば、開発しなければならないプラットフォームが増えるからである。最低でも、Android と iOS、Windows Phone をサポートすることは必要になる。さらにはこうしたプラットフォームの多くは、きちんとしたユーザーエクスペリエンスを提供するためにそれぞれ別々のアプリを必要とする複数のサブプラットフォームに分岐していくと思われる。……

将来、UI の種類はさらに増えていくだろうと現実的には考えざるをえない。この結果、モバイルアプリの開発には非常に費用がかかるようになるだろう。
対照的に、モバイルサイトではある程度のクロスプラットフォーム機能が保持されるので、そこまで多くのデザインは必要にならないだろう。

ニールセン博士が挙げるポイントは以上です。

記事「For some publishers……」に戻ると、Android 市場では、さらに Kindle Fire のような“サブ市場”が生まれたりと、市場の断片化が進行しており、ネイティブアプリでそれらをカバーし続けるのは、開発負荷がかかり過ぎるとしています。HTML5 なら、ネイティブアプリが発揮する操作性や機能とまったく同じレベルに達するのはしばらく難しいとしても、8割、9割ぐらいまでは追いつきつつあるというのです。

TabTimes の Jones 氏は iPad ネイティブアプリとすることで得られる機能性を犠牲にすることは、TabTimes が(複数プラットフォームへ適合し)迅速に読者を広げるという点で考慮に値するトレードオフ関係にあるという。
「迅速に市場へ投入すること、クロスプラットフォーム対応することの利点は過小評価されている。多くの読者がタブレットを通じて TabTimes (Web サイト)を閲覧している。アプリ型メディアを投入しない理由はない」。
Jones 氏は、iPad ネイティブアプリと Kindle Fire 用 Web アプリの開発を依然として検討している。

スマートフォン・タブレットに最適化したメディア・アプリを投入するに際しての意思決定にかかわるポイントについて触れてきました。
そこに浮かび上がるネイティブアプリ対 Web アプリという図式は、突き詰めれば、OSやハードウェア仕様に込められたユーザビリティをはじめとする高度な機能を用いる優位性を重視するか、それともプラットフォームごとに展開する開発負荷に対し、ある程度のユーザビリティと汎プラットフォーム的な開発生産性を優先するのかという対立に還元できます。
記事では、このトレードオフを念頭に置きつつビジネス上の意思決定をすべきとの結論に至ります。

筆者(藤村)の視点を差し挟むと、最近目にするこの種の議論の多くは、メディア企業がアプリ開発を内製するという“常識の罠”に陥っているように見えます。それが往々にして対立図式の前提となっているのではないでしょうか。
記事の例では、汎用開発基盤を有する開発者(企業)との協業により問題解決を果たしたと理解します。いずれはレガシーCMSまでは内製維持するにしても、その上位に当たる変化の激しいプレゼンテーション・アプリケーションの層は、(外部の)汎用基盤へと疎結合していく可能性が高く、そうなれば、ユーザビリティ(ユーザー体験)を犠牲にしてもメディア企業内の開発負荷を軽減すべきとの議論に傾きがちな趨勢に歯止めがかかると展望するのです。
そろそろ、二項対立的な膠着状態をブレークスルーすべく第三の道が形成されなければなりません。
(藤村)